上尾が強豪と呼ばれる理由 現役指揮官が大切にする信条「プロ野球もメジャーも同じ」

上尾・高野和樹監督【写真:河野正】
上尾・高野和樹監督【写真:河野正】

埼玉の古豪・上尾高校の野球に魅せられた高野和樹監督

 今年も熱戦が展開されている選抜高校野球。埼玉の古豪・上尾高校は、42年前の第54回大会で優勝候補に挙げられた。遠い昔のことだが、その時のチームとエースに憧れた少年は多く、現在指揮を執る高野和樹もその1人だ。4月で就任15年目となる指揮官は、上尾OBと手を取り合い、1984年夏以来の甲子園出場と名門復興に粉骨砕身している。

 埼玉県63市町村で唯一の村である東秩父村出身の高野は、小さい頃から上尾のファンで、1975年夏の甲子園ベスト4に感動して上尾への進学を夢見た。体が小さく、試合出場は難しいと覚悟しながら「最大にして最後の決め手になったのが、日野さんの関東大会優勝でした」と言う。

 左腕エース日野伸一は、2年生だった1981年春と夏の県大会で無安打無得点試合を達成。秋には県大会4試合、関東大会3試合で68イニング連続無失点の大記録をつくって優勝した。高野が中学2年の時だ。

 翌年の選抜大会は1回戦で箕島に敗れたが、上尾は優勝候補に推され、日野は早実・荒木大輔、千葉商大付・平沼定晴とともに脚光を浴びた。

 あのチームに心を寄せた高野の信条は守りの野球だ。捕手出身ということもあり、「取れるアウトを確実に取り、出塁したらしっかり送ってヒット1本で得点する。看板が打力でも投手力でも、勝っていく過程ではこれが重要。プロ野球でもメジャーでも同じですよね。まずは守り。基礎とキャッチボールです」と言う。

 日野が2年生の秋は県大会準々決勝が2-0、準決勝が1-0、決勝が3-0だ。関東大会準決勝は1-0(延長11回)で、決勝も1-0(同12回)と接戦にめっぽう強かった。

上尾・高野和樹監督(左)と片野飛鳥部長【写真:河野正】
上尾・高野和樹監督(左)と片野飛鳥部長【写真:河野正】

受け継がれてきた伝統を具現化する“チーム上尾”

 上尾に赴任して4月で9年目。部長で卒業生の片野飛鳥は「高野先生が就任してから、守りの野球がさらに徹底されました」と言う。

 ともにプロ入りした浦和学院・坂元弥太郎(ヤクルト、日本ハムなど)、春日部共栄・中里篤史(中日、巨人)と同期。上尾は2000年夏の県予選準々決勝で春日部共栄と対戦し、9回2死までリードしながら延長戦で敗れた。そんな苦い思いをした片野は「最後の最後、3アウトを取るまで堅実にプレーすることを教訓に指導しています」と語る。肩書は部長だが実務はコーチと同じで、高野が全幅の信頼を置く参謀である。

 コーチという役職の教員はいない。グラウンドに出るのは高野と片野のほか、76歳の小川満と75歳の嶋村修一両OB、鷲宮の監督で選抜大会に初出場し、上尾も指揮した卒業生の斉藤秀夫だ。

 2020年に県高野連専務理事に就いた同じくOBの神谷進も、多忙な職務の合間を縫ってはグラウンドに顔を出す。片野は「日本で一番ノックを打つ専務理事」と評し、「神谷先生は埼玉代表の随行で必ず甲子園に行きますが、ひとりで行かせないことが目標。『チームで甲子園へ』が合言葉なんです」と嬉しそうに語る。

 上尾市内には高野が鷲宮時代に指導し、2006年高校生ドラフト1巡目でヤクルト入りした増渕竜義の野球教室があり、ここから入部する選手も多い。

 伝統とは抽象的な言葉の響きだが、“チーム上尾”は見事なまでにそれを具現化する。

 主将の屋代剛志は「責任と誇りを持ってこのユニホームを着ている。大勢の人に応援されているので、勝たないといけない」と自負心を示す。

上尾OBに指導を受ける主将の屋代剛志(中央)【写真:河野正】
上尾OBに指導を受ける主将の屋代剛志(中央)【写真:河野正】

40年遠ざかる甲子園…高まる覇権奪回への思い

 高野は2010年秋の新チームから指揮を執り、翌春は準優勝して関東大会出場。甲子園に通じる戦いでは2017年と2021年の秋は4強で敗退し、惜しくも関東大会出場を逃した。2018年夏の記念大会は北埼玉予選決勝で花咲徳栄に敗れ、あと一歩のところで晴れ舞台に行き損ねている。

 自身が2年生の夏に行進した甲子園から40年も遠ざかるとあり、覇権奪回への思いは強い。「夏に向けてまとまりをより強固にし、全員がひとつになって戦える環境づくりをしたい。主力とかメンバー外とか関係なく、誰もが上尾高校野球部という誇りを持つことです。そういうチームが一番強い」と力こぶを入れた。

 上尾の歴史を築いた野本喜一郎には、1年生の時に手ほどきを受けた。今の指導に生かされている往時の教えを尋ねると、選手の動きをよく観察することだと答えた。「驚くほどひとりひとりをじっくり見て、折を見てアドバイスなど声を掛けてくれたんです。自分もすべての選手をしっかり見るようにしています。すごく勉強になりました」。

 練習中の高野は一塁側と三塁側をせわしなく行き来し、拍手をしたり軽口を言ったり、時には厳しくも的確な言葉を投げ掛ける。

 大先輩である7期生の嶋村は、「上尾の選手はみんな心が豊かだ。監督が根気よく丁寧に人間形成してきたおかげですよ」と目を細めた。

◯著者プロフィール
河野正(かわの・ただし)1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部でサッカーや野球をはじめ、多くの競技を取材。運動部長、編集委員を務め、2007年からフリーランスとなり、埼玉県内を中心に活動。新聞社時代は高校野球に長く関わり、『埼玉県高校野球史』編集にも携わった。著書に『浦和レッズ・赤き勇者たちの物語』『浦和レッズ・赤き激闘の記憶』(以上河出書房新社)『山田暢久 火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ 不滅の名語録』(朝日新聞出版)など。

(河野正 / Tadashi Kawano)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY