気持ちがプツン…育成打診も「あっ、辞めよう」 思い出す“戦力外直前のひと言”

元西武・綱島龍生【写真:荒川祐史】
元西武・綱島龍生【写真:荒川祐史】

2021年限りで引退した元西武内野手の綱島龍生氏、現在はアカデミーコーチ

 どんなプロ野球選手にも訪れる、現役引退のとき。終止符の打ち方は人によってさまざまで、悔いなく晴れやかな気持ちで第2の人生に向かう選手も少なくない。2021年に西武から戦力外通告を受けた元内野手の綱島龍生氏は、育成の打診を断り引退を決断。現在はライオンズベースボールアカデミーのコーチとして汗を流している。

 新潟・糸魚川白嶺高から2017年ドラフト6位で西武に入団。4年目の2021年に1軍初昇格を果たし、7試合に出場した。手応えを掴みつつあった中、まさかその年で終わりだとは思わなかった。秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」に参加中、東京に戻るように伝えられた時は、まだシーズン中だったこともあり「もしかしたら1軍かな」と淡い期待が一瞬頭をよぎった。だが、すぐに冷静になった。後日、球団事務所で戦力外を伝えられた。

「1軍でも試合に出たし、フェニックス・リーグでもチームで1、2位くらいには打っていた。『来年やってやろう』という気持ちでいましたが、そんな時の戦力外通告でした。気持ちがプツンと切れてしまった。その後、育成の打診をいただきましたが『育成』と聞いたときに『あっ、辞めよう』と思いました」

 首脳陣の中には「良くなってきているのにもったいないと」言ってくれる人もいたが、決意は固かった。

無名の高校からプロ入り「拾ってくれたライオンズで一生やろうと決めていた」

 高校ではプレー中のサインもなく、サインを覚えるところから始まったプロ生活。1、2年目は、ついていくのに必死だった。「周りは体も大きいし、球速も速い。レベルが高すぎて、2年目くらいまでは、ずっと『やっていけるのかな』と不安でした」。コーチと会話を重ね、毎朝6時から夜まで練習した。それだけやったから、悔いもなかった。そして、入団した時にプロ野球人生は西武で終わらせると決めていた。

「高校は強豪校ではなく、県大会も1、2回戦で負けるようなところでした。そんな中から自分を見つけてくれて、拾ってくれたライオンズで一生やろうと決めていました。寮生活も初めてで不安ばかりでしたが、先輩たちは優しくて、色々教えてくれた。いい雰囲気で楽しく野球ができました。他のチームに行こうという考えはありませんでした」

 引退後は地元の新潟に戻り、知り合いの居酒屋を手伝った。人生で初めてのアルバイトは、楽しかった。両親も「全部龍生に任せるから」と温かく迎えてくれた。いつか、指導者の道に進みたいと考えていた時、ライオンズベースボールアカデミーのコーチの話が舞い込んだ。「勉強になる」と快諾し、再び西武のユニホームを身にまとった。

 引退から2年あまりが経ち、ふと戦力外直前にかけられたひと言を思い出す。「みやざきフェニックス・リーグ」から東京に戻るため球場で支度をしていると、当時2軍を指揮していた松井稼頭央監督から「打撃も守備も良くなってきているな。気を付けて帰れよ」との言葉をもらった。

「今思えば、監督は自分が戦力外を通告されることを分かっていて声をかけてくれたのではないかと思います。あのひと言は、本当に嬉しかったです」。4年間の現役生活は、短いが充実していた。第2の人生も西武に携わり、その恩を返していくつもりだ。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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