“水飲み厳禁”「そりゃやめる」 130人→20人に消えた部員…起こした脱水症状

元阪神・工藤一彦氏【写真:山口真司】
元阪神・工藤一彦氏【写真:山口真司】

工藤一彦氏は土浦日大に進学…正式入部前に鮮烈デビュー

 元阪神投手の工藤一彦氏は土浦日大高時代、銚子商・土屋正勝投手、鹿児島実・定岡正二投手、横浜・永川英植投手とともに「高校四天王」と呼ばれ、プロから注目された。その非凡な才能を高校入学時から見せつけていたが、一方で「練習はつらくて、つらくてたまらなかった」と振り返る。練習中などに水を飲んではいけないと言われていた時代。監督や先輩にわからないように、コーラと揚げまんじゅうを一気飲み&一気食いしたこともあったという。

 中学時代に軟式野球と陸上の両競技で名を馳せた工藤氏は、野球の特待生で土浦日大に進学。“デビュー”はいきなりだった。「入学が決まった時に『1回、学校に来い』と言われたので行ったら練習試合をやっていた。見ていると監督が来て『お前、投げられるか』と聞かれたので『投げられないことはないです』と答えた。硬式ボールなんて試合で投げたこともなかったんだけどね。そのまま登板することになったんだよ」。

 まさに急きょのマウンド。「背番号10の3年生の先輩に監督が『お前、ユニホームを工藤に貸してやれ』って言って、その先輩のを着て、試合に出た。(2死から)『打者1人だけでいい』ってことでね。そしたら三振。『もう1イニングいけるか』って言われて『行けますよ』って、次の回も投げたら3者連続三振。その後、正式に入部したら、背番号が10になった」。ユニホームを借りた先輩から2番手投手の座もそのまま奪ってしまう“鮮烈デビュー戦”になったわけだ。

 ただし、認められた分だけ練習は大変だったという。「1年の時の試合は3年生のエースがほとんど1人で投げた。だから俺はあまり投げなかったけど、準レギュラーだから、練習は(上級生と一緒に)ずーっとやらないといけなかった。それがつらくて、つらくてねぇ……。水は飲んだらいけないし、腹はペコペコだし……」。我慢できなくなって、トイレに行くふりをして“掟破り”に動いたこともあったそうだ。

寮の押し入れに置かれたコーラと揚げまんじゅうを一気に流し込んだ

「炊事当番をする同級生のヤツに『コーラと揚げまんじゅうを寮の俺の部屋の押し入れのところに置いといてくれ』って頼んでおいて『ちょっとトイレに行ってきます』と言ってね。トイレに行きたかったら寮まで戻らないといけなかったからさ。それで自分の部屋に急いで行って、コーラは開ける時に音がしないようにタオルでくっとやって、飲むのも一気。口あけて、かーって。もうヒリヒリするくらいだった。揚げまんじゅうも一気。あんこが甘くておいしくてさぁ……」。

 パーッと行って、パーッと飲んで食って、パーッと戻ってくる。スピードも必要な“荒業”だったが「バレなかった。あの味はいまだに忘れられないわ」と工藤氏は思わず笑みをこぼした。「昔はいろんなことをするヤツがいたよ。草むらとかに水を入れた缶を置いといて、ファウルボールを探しているふりして、それを飲むとかね」。今では信じられない“水問題”だが、当時はそれが普通のことだった。

「炎天下で足をあげて、かかし(のポーズ)、バランスをとるやつだけど、暑い中、あれもたまらんかったわ」と苦笑する。「高校3年の夏の茨城大会で優勝して終わってすぐに記念撮影があったけど、俺はもうフラフラの脱水症状を起こして、手が動かない状態だった。その後は県庁までパレード。さすがに冷えたオレンジジュースをもらった。1本じゃアカンから、もう1本くれってごくごく飲んだら、手が動くようになったのも覚えているわ」。

 当時を振り返りながら、工藤氏はこうも話す。「人間って不思議やな。それでもやれたんだよなぁ。脳が指令するんだろうな。水を飲んじゃいけないと思うから、飲まなくてもやれるって気になった。やれたのは気持ちだと思うわ。でも、今思えばアホみたいなもんやで。俺が高校に入った時、1年生が130人くらいおったけど、1日に10人、20人とやめていって最後残ったのが20人だけやから。そりゃあ、やめるわな」。“異常な世界”を乗り越えたのも間違いない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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