巨人とFA交渉も「断るつもりだった」 中日に傾いた山口俊の心を射止めた“覚悟の封筒”

巨人入団会見に臨む山口俊氏(左)と当時の指揮官・高橋由伸監督【写真提供:産経新聞社】
巨人入団会見に臨む山口俊氏(左)と当時の指揮官・高橋由伸監督【写真提供:産経新聞社】

DeNAで活躍した山口俊氏は2016年オフにFAで巨人に移籍した

 2006年からDeNA(横浜時代含む)で11年間活躍した山口俊氏は、2016年オフに国内フリーエージェント(FA)権を行使し、巨人へ移籍した。当初は別の球団でプレーする意思を固めていたが、土壇場で翻意し巨人入りを決意したという。その真相をFull-Countのインタビューで語った。

 山口氏は2016年に11勝5敗(5完投)、防御率2.90の成績を残し、DeNAの球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出に貢献。自分自身を育ててくれた球団への残留を基本線としていたなか、FA移籍を決断した理由は明快だった。

「単純に僕の評価が低いと感じました。自分の思いと球団の思いに温度差のような違いを感じてしまったんです。結局、話し合いがまとまらずに、愛着のあった球団を離れることを決断しました」

 代理人を通じて他球団との交渉が本格化。巨人、中日など5、6球団から興味を示されたものの、「マネーゲームみたいな金額交渉が嫌だったんです。どこどこはいくらだすの? じゃあうちはいくらだすよ、となっていく。それが嫌で巨人か中日に行くと断っていました。(2球団以外は)交渉の席にもつきませんでした」。

 当時の胸中は「中日に行こうと思っていました」。急転したのは巨人に断りを入れるための話し合いの場だった。断る“礼儀”として代理人ではなく、自分自身が巨人の堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)と2人で会うことにした。

巨人に断りいれるつもりが「気づいたら『よろしくお願いします』

「本日はありがとうございます」。入室し、挨拶した山口氏が本腰を入れて話し始める前に、堤GMは1通の封筒を山口氏の前に置いた。「お前を獲れなかったら俺はやめる。その覚悟で来ているから」。辞表届だった。

「堤さんは、僕が断るつもりだったと分かっていたんだと思います。でも、そこまでしていただいて感激しました。気づいたら『よろしくお願いします』と言っていました。一瞬で射抜かれましたね」

 条件面では中日の方が良かったという。それでも金額ではない、堤GMの熱意に揺さぶられ、急転直下の巨人入りが決まった。報告した妻も「パパらしいね」と“歓迎”した。

 2016年のCS前に右肩を痛めたこともあり、翌年の開幕には投げられないことも伝えていた。「最初は無理でも、(復帰後の)残りの契約期間でしっかり投げてもらえればいい」と言ってもらえた。「あの頃は本当に痛くて、治る見込みも見えてなかったんです」。それでも自身を必要としてくれた巨人のために、全力を注ぐことを誓った。

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