最悪の18連敗…負けてるのに増えるメディア 去る指揮官“捨て台詞”、ワースト記録の真実

元ロッテ・初芝清氏【写真:片倉尚文】
元ロッテ・初芝清氏【写真:片倉尚文】

1998年のロッテはNPBワースト18連敗…初芝清氏「メディアとファンが増えた」

 強打の内野手として「ミスターロッテ」と呼ばれ、社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める初芝清氏。1998年のマリーンズは最下位に終わった。「あの連敗が途中で止まっていればというのは、ありましたけどね」。プロ野球ワーストの18連敗(1分けを挟む)を喫したシーズンを回顧した。

 初芝氏は、髪を金色に染めて2年ぶり開幕スタメンに復帰した。チームも4月は首位と、順風満帆で船出した。ところが、6月13日にホームの千葉マリンでオリックスに屈すると、歴史的な“暴風雨”に巻き込まれた。故障者が相次いだリリーフ陣が手薄となり、負の連鎖が始まった。

 初芝氏は、当初は平然としていたという。「野手の方は全く何てことない。バッター陣は、打てなくて負けている感覚がなかった。点は取っているし。惨敗は何試合かあったぐらいで、抑えられているって事はありませんでしたからね」。1分けを含む悪夢の19試合で零封負けは2度しかない。5得点以上は7度で、その内1度は2桁得点を奪った。

 連敗にある意味、慣れっこだったこともある。「やっぱり連敗グセが取れないというのは、ずっとあった訳ですから。9、10連敗なんて毎年するようなチーム。まあ、いつも通り。いつも通りって言っちゃいけないんですけど」。1989年の入団以来、この時点で1度しかAクラスが経験がなかった。

 しかし、未体験ゾーンにまで突入した。「大連敗がさらに、でしょ。どうしようもできないよね、みたいな雰囲気でした。だから、俺たち何か変なことはしてないよなって言ってました」。14連敗で迎えたダイエーとの試合前。本拠地の球場内に選手、首脳陣の現場だけでなく球団フロントまで一緒にお祓いを受けた。それでも現実は変わらない。

ファンに感激「苦しい状況でも足を運んでくれた」

 あまりにも有名なワースト更新の「七夕の悲劇」。オリックス戦(神戸グリーンスタジアム=現ほっともっとフィールド神戸)に先発した“ジョニー”こと黒木知宏投手は3-1の9回2死、カウントでも追い込む。あと1球。そこで同点2ランを浴び、立てなくなった。

「これで連敗が止まったなって安心感を持ってました。そしたらドーンでしょ。みんな『イヤーッ』と」。まだ同点。延長に入ったのだが、ロッテは初芝氏、フリオ・フランコ内野手の主力が既に退いていた。勝機に乏しく、サヨナラ満塁本塁打を喫した。

 連敗を重ねる毎に報道陣の数が増す皮肉。問われる内容も連敗の事ばかり。「メディアの人が増えましたね。おい、普段から来いや、とそれは思いますよね。でも別に記者がどうだこうだとかはなかったですよ」。球場の中での変化には普通に対応できた。

 観客席の変化には感激した。「神戸にあんなに人が集まったところを見たことがない。お客さんがあれ程までに苦しいチーム状況でも足を運んでくれた。あの連敗のおかげか分からないけれど、ロッテのファンが増えましたものね」。最高のファンと認識した。

チーム打率リーグ1位、防御率2位で最下位…監督の辞任コメントに「あー?」

 初芝氏は、この年は打率.296、25本塁打、86打点。怪我などに泣かされ、自身ワーストとも言える1年前とは見違えるばかりの成績を残した。「前年に開幕スタメンを外されたりした首脳陣に対しての、もう意地でした。ほら、見てみろって感じでプレーしていました。結果的に発奮材料になったのかもしれませんけど」。

 加えてシーズン中にFAの権利を満たした。「もう絶対に出ていってやる、と思ってました。でも宣言しても成績が悪ければ、どこも獲ってくれない。好成績を収めなきゃならない、そういう部分はありました」。今でもファンから「ミスターロッテ」と愛される初芝氏だが、移籍もやむなしの複雑な気持ちを抱えていた。

 ロッテは最下位ながら優勝した西武から9.5ゲーム差。パ・リーグは稀に見る大混戦だった。「あの連敗が途中で止まっていれば……というのは、ありましたけどね」。チーム打率はトップ、防御率も2位だった。

 近藤昭仁監督は、「もっと強いチームで監督をやりたかった」と会見で語り辞任した。「あれは選手もみんな、『ええーっ』『あー?』ってなりましたね」と初芝氏。翌年以降もユニホームが変わることはなかった。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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