大反省の紅林弘太郎「行動が大事」 “2軍落ち騒動”の舞台裏…灼熱の舞洲で流した汗

オリックス・紅林弘太郎【写真:北野正樹】
オリックス・紅林弘太郎【写真:北野正樹】

オリックス・紅林が過ごす“鍛錬の夏”

 厳しい試練が、人間を大きくしてくれる。オリックス・紅林弘太郎内野手は“怠慢プレー”がきっかけとなった「2軍落ち騒動」を経て、攻守で新境地を開いている。「(2軍施設の舞洲で)鍛錬をしてきました。言葉で言ってもしょうがないと思っています。これからの行動が大事だと思うので、ちゃんと行動で示していきたいと思います」。

 3日のロッテ戦(京セラドーム)で3安打2打点、守備でも深い位置からノーバウンド送球で打者をアウトにする広い守備範囲と強肩でチームの連敗を「10」でストップさせた。翌4日のロッテ戦では安打こそ出なかったが、8回2死一、三塁のピンチで佐藤都志也捕手の打球を逆シングルでダイビングキャッチして二塁に送球する美技など、守りで魅せた。

 そんな紅林は、いつになく表情を引き締めている。「スキを見せたら勝てないと思うので、これからもずっとスキを見せないようにちゃんとやりたいと思います」。力強い言葉で、視線を前にやった。

 そんな紅林にスキが襲ったのは、1日の日本ハム戦(エスコンフィールド)だった。0-2の2回2死一塁の守備だった。打者、浅間大基外野手の4球目、一塁走者がディレードスチールを試みた際、ベースカバーに入るのが遅れてしまった。捕手の送球が中堅に転がる間に走者の三進(記録は捕手の悪送球)を許し、浅間に右翼線へ適時二塁打を浴びて追加点を与えてしまった。

 紅林は直後に回ってきた3回の2打席目で代打を送られて交代。試合は3回に5得点を挙げ一度は逆転、その後に逆転を許してしまったが7回には来田涼斗外野手の1号ソロで再び振り出しに戻したものの9回に7-6でサヨナラ負けし9連敗を喫してしまった。

濡れた打撃手袋…舞州での努力の跡【写真:編集部】
濡れた打撃手袋…舞州での努力の跡【写真:編集部】

声を絞り出し「鍛錬です、鍛錬。舞洲で鍛錬、鍛錬をしていました」

 15安打を放ち、6投手の継投でチーム一丸となって連敗阻止に立ち向かっていた中での紅林のミスはあまりに大きく、中嶋聡監督から厳しく指摘された。翌2日の午前中、紅林の姿は大阪・舞洲の球団施設にあった。

 試合中に中嶋監督から問題のプレーを叱責され、2軍落ちを覚悟しての行動だった。室内練習場でマシンと対峙し、黙々とバットを振った。その後はナイターでロッテ戦が行われる京セラドームに向かい、中嶋監督と面談。登録抹消はされなかったものの、ベンチ入りは外れた。

 2日のロッテ戦後、中嶋監督は「(1日の試合後に)本人に言ったのは『そんなんしとったら』という話。本人がそう(降格と)取っただけ」と説明し、2日には改めて「しっかり切り替えて来いよという話をした」という。2軍落ちはなかったが、一連の行動は浮上を目指すチームの勢いに水を差したと判断された。本人にも自覚があるからこそ、深く反省したに違いない。

 舞洲で過ごした数時間を紅林は「鍛錬です、鍛錬。舞洲で鍛錬、鍛錬をしていました」と声を振り絞った。短い会話の中に4度も出た「鍛錬」という言葉。ただただバットを振って技術を伸ばす練習ではなく、体力や能力のほかに、精神力も鍛えて強くなりたいという意味が込められていた。

「毎回思っていることですが、もう勝ちに貢献したいという気持ちだけです」。打順を待つベンチ内でバットを握って投手との間合いをはかり、打席の先輩に大きな声援を送る。ネクストバッターズサークルでは、バットを両肩に乗せ左右に体を移動させる「ドリル」で準備するなど、初心に戻り、ひたむきにボールと向き合う。鍛錬の夏が、紅林をさらに強く大きくする。

○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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