野村監督に「お前はホンマにバカだな」 HRゼロ→翌年規定到達で13発…響いた“説教”|球界群像 濱中治#8
阪神監督時代の野村克也氏(左)と濱中治氏【写真提供:産経新聞社】濱中治氏は4年目まで1軍に定着できず…「もどかしさがありました」
1999年シーズンから阪神監督に野村克也氏が就任した。ヤクルトをリーグ優勝&日本一に導いたID野球を虎にも浸透させるべく動いたが、結果は3年連続最下位に終わった。しかしながら、この間に叩き込まれた配球面などの“野村の考え”が後に役に立ったという声は数多い。元阪神4番の濱中治氏(野球評論家、関西独立リーグ・和歌山ウェイブスGM)もその1人だ。「『お前は何でバカなの』って、よく言われましたけどね」と野村氏のゲキを思い出しながら感謝した。
濱中氏は高卒プロ1年目の1997年に1軍で6試合に出場した。「吉田(義男)監督が経験を積ませてくれたと思います」。それを生かそうと臨んだ2年目(1998年)は9月に1軍昇格して11試合、22打数9安打の打率.409の成績を残した。10月1日のヤクルト戦(甲子園)では初のクリーンアップ、「5番・左翼」で起用されて4打数2安打、プロ初打点もマークするなど、着実に力をつけていった。そして3年目(1999年)に野村監督体制になった。
背番号は「66」から「25」に変わった。「野村さんに66番は重たいだろうから、25番に変えたらどうだって言われた。うれしかったですね。若い番号というのには憧れていたのでね」。若手の成長株として期待されてのことだったのは言うまでもない。濱中氏は意気に感じて3年目の飛躍を目指した。だが、35試合、70打数14安打の打率.200、0本塁打、4打点。思うような成績は残せなかった。
野村克也監督から学んだ配球…「何か楽しくなってきた」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜濱中治編〜
元阪神4番、“転身”後に直面する資金繰り問題 選手は無給でバイト…第2の人生で描く夢|球界群像 濱中治#20
大卒ドラ1でも“我慢”「計画的に…」 阪神4番の覚醒呼んだ強化プロジェクト|球界群像 濱中治#19
自ら申し入れた引退「最後でいいかな」 “最終打席”は拒否…1年で終わったヤクルト生活|球界群像 濱中治#18
阪神からの放出理由はコンビニ弁当? 帰り道で…流布した“デマ”「よくわからない」|球界群像 濱中治#17
阪神→オリ移籍で痛感した“差”「あり得ない」 僅か2台のカメラに衝撃「恵まれていた」|球界群像 濱中治#16
阪神が決断した大砲の放出「無茶苦茶ショック」 ホテルで衝撃宣告「せめてあと1年…」|球界群像 濱中治#15
岡田監督の一言に「ホンマにムカついて」 新聞目に“怒り”「プライド傷つけられた」|球界群像 濱中治#14
練習サボり、阪神4番が“酒浸り”「完全に腐っていた」 相次ぐ手術で絶望…自暴自棄の日々|球界群像 濱中治#13
阪神4番を襲った“悪夢”の連鎖 巨人戦で壊れた右肩…断られた手術「ウチはできません」|球界群像 濱中治#12
阪神4番の重圧も…指揮官「絶対代えない」 FA大物の“献身”に覚めた酔い「初めてみた」|球界群像 濱中治#11