高卒渡米も茨の道、“消える同期”…「カットされた」 逆輸入23歳が歩む異色の野球人生

くふうハヤテ・大山盛一郎【写真:町田利衣】
くふうハヤテ・大山盛一郎【写真:町田利衣】

米大学を卒業した大山盛一郎は8月にくふうハヤテに電撃加入した

 今季からウエスタン・リーグに新規参入したくふうハヤテに、8月に電撃加入した選手がいる。大山盛一郎、23歳。米大学を卒業したばかりで、今秋ドラフト候補にも名前が挙がる。その野球人生は、超異色だ。

 沖縄・興南高を卒業。1学年下には宮城大弥(現オリックス)が所属し、3年夏に甲子園切符を掴むも怪我で出場機会がなく「自分は目立つような選手でも、オファーがあるような選手でもなかった」。そんなとき、米国の大学野球の存在を知り自らリサーチ。英語を話すことはできなかったが「それより楽しみが大きかった」と海を渡った。

「まずは短期大学に2年間行って、そこで結果を残せば編入という形で1部や2部の学校に行ける。自分次第で可能性が広がる」。そう描いた通り、マーセットカレッジで1年生からレギュラーとなり、4シーズン目から1部に所属するカリフォルニア大アーバイン校に移った。

 大学生活は、苦労も多かった。慣れない英語の授業と野球の両立は過酷を極めた。「一定の単位をもらえないと野球をさせてもらえない」とチームメートの協力も得て勉学にも励んだ。試合のためにバスで5時間や6時間移動をするのは当たり前。「カット制度」もあり、毎年10人前後の仲間がチームを去る。「同期がカットされて、次の日からいなくなったこともありました。みんな負けず嫌いで、チームメートだけど競争相手。競争は激しかったです」と振り返った。

浦添ボーイズ出身、幼少期はヤクルトとDeNAのキャンプ見学

 そんな米国での野球経験は、大山を変えた。一番大きかったというのがメンタル面だ。初期は結果にばかり捉われて自分のパフォーマンスが出せずにいたが、コーチのアドバイスもあって考え方を一新。「結果はコントロールできないので、結果を求めるのではなく自分のベストなパフォーマンスだけを心掛けて、それを集中してやること」。その意識になってからは打席でも集中できるようになり「後悔のない打席が増えて、自分のパフォーマンスをできる機会が増えた」と成績もうなぎ上りとなった。

 また渡米2年目に見舞われたコロナ禍にウエートトレーニングに励んだ。身長170センチで体重は56キロと細身だったが、肉体改造により約20キロも増えた。「やはりあっちの人はデカいし、球が速いので1年目はなかなか(打球が)前に飛ばなかった。増量してパフォーマンスが上がりましたし、最初は1部にいけるような選手ではなかったけど話が来るようになった」と、ウエート面の強化が周囲から認められるキッカケにもなった。

 しかし米ドラフトにかかることはなく、今夏帰国した。ハヤテですぐにレギュラーを掴み、33試合に出場して打率.220、5打点、3盗塁。狙うは、10月24日のドラフト会議で指名を受けてプロ野球選手になることだ。「小さいころから見ていたのは日本のプロ野球だったので、もちろん思いはあります。チャンスがあればと思っていたので」。沖縄県出身、浦添ボーイズでプレーし、2月には自転車でヤクルトとDeNAの春季キャンプを訪れサインをもらって大喜びする少年だった。自ら道を切り拓いてきた大山の、次なる行き先に注目だ。

(町田利衣 / Rie Machida)

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