中日大砲の狂った歯車「調子こいていた」 おかしくなった打撃…41HR翌年の“大失敗”
宇野勝氏は1985年にNPB遊撃手最多の41発→翌年は10発に激減
通算338本塁打を放った元中日、ロッテ内野手の宇野勝氏(野球評論家)にとって、プロ9年目の1985年と10年目の1986年は天と地ほどの差があった。NPB遊撃手最高の41本塁打を放った1985年から一転して、1986年は10本塁打と大不振で2軍落ちも経験した。いったい何がそこまで打撃を狂わせたのか。「まぁ、あれはねぇ……。ちょっと調子こいていたんだよ」と少々、自虐的に語った。
宇野氏はプロ9年目の1985年シーズンについて「俺の野球人生の中で一番よかった年じゃないかな。内容的にもね」と話す。全試合(130試合)に出場して打率.274、41本塁打、91打点。阪神のランディ・バース内野手が54本塁打を放ち、タイトルこそ獲れなかったものの、前年(1984年)に37本で本塁打王を分け合った阪神・掛布雅之内野手の40本塁打の上を行ってセ・リーグ2位だった。
4月は1本塁打だったが、5月に9本塁打を放って勢いに乗り、得意の8月に9本塁打、10月にも7本塁打など積み重ねていった。40本の大台を超えたのは10月18日の大洋戦(ナゴヤ球場)。相手エース・遠藤一彦投手から40号、41号を放った。「遠藤さんからは結構、俺、打っているんだね。真っすぐ、フォークのイメージだけど、フォークのストライクって全然半速球なんでね。たぶん、それを打っていたんじゃないかな」。
宇野氏の41本は、NPB遊撃手のシーズン本塁打最高記録で39年が経過した今も破られていない。遊撃手の40本塁打も2019年に巨人・坂本勇人内野手が達成しただけだが、「日本にはショートはホームランを打つ選手が少ないっていうイメージがあると思う。メジャーには大型のショートもいるんだからさ、これからは変わってくると思うし、変わっていってほしいよね。使う方もイメージを変えてほしいね」と話す。
記録に関しても「昔と違ってウエートトレをやる選手も増えてきて、力もあるし、人工芝のきれいな球場が増えてエラーをあまり考えずにできる。41本を超えるショートもそのうち出てくると思うし、出てきてほしい。そう思うよ、思う、思う。やっぱり日本のショートのイメージを変えてほしいからね」と語気を強めた。
2軍に2度降格…心身ともに落ち込み「もう今年はいいです」
その一方で、自身がはまった翌1986年のスランプには無念の表情を浮かべた。「10年目に調子が悪くなったんだよね。バッティングをちょっと変えたんだよ。今まではダウンしながら平に打っていたのを、最初から平に打とうとした。ちょっと調子に乗って、そうしたらもっと打てると思ってね。オープン戦は良かったんだよ。でも『それじゃあ打てなくなるよ』って誰かに言われていたんだよねぇ。で、シーズンに入ったらホントに絶不調。何かおかしくなってしまって……」。
開幕は「3番・三塁」で迎えた。それまで守っていた遊撃には西武からトレード加入の鈴木康友内野手が入った。「ポジションが変わったのも関係があったかもね。サードの方がショートより楽だろとか言う人が多いけど、俺は守っている感覚が違ったというのがあったよね。まぁ、そういうのを言い訳にしていたかもしれないけど……」。不調のトンネルからなかなか抜け出せず、6月下旬には2軍にも落ちたが「2軍では打てるんだよ。それでまた調子こいてさ、1軍に戻ったら通用しなくて……」。
チームも下位に低迷して7月上旬に山内一弘監督が途中休養となった。高木守道守備コーチが監督代行となり、宇野氏も1軍に復帰し、7月に1本塁打、8月は10日までに4本塁打と巻き返しかけたが、再び調子を落として、8月下旬にはまた2軍落ち。10本塁打、26打点の成績でそのままシーズンを終えた。「2軍でもう1回どうのこうのって言われたけど『もう今年はいいです』って言った覚えがある」。身も心も落ち込んでいたようだ。
1985年に41本塁打を放ったのが、嘘のような1986年の不振ぶりだった。せっかくの上り調子を打撃フォーム変更で自らが止めたようなシーズンにもなったからだろう。プロ11年目の1987年は闘将・星野仙一監督の下、遊撃手に戻ってきっちり復活を果たす宇野氏だが、「あの10年目がねぇ……。それはホント覚えている」と今でも悔しそうに話した。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)