「日本では絶対にあり得ない」 川上憲伸も感心…元コーチの“もう一つの顔”【マイ・メジャー・ノート】
元ブレーブスコーチのボビー・デューズ氏は文筆家でもあった
選手の契約更改や引退が報じられる季節になった。来季からの新体制に向けてコーチ陣の交代劇も生まれるこの時期に、脳裏に浮かんでくる言葉がある。
「朝起きて、きょうもまたこれがやりたいと思えることを仕事にすべき。この上ない幸せなこと」
言葉の主は、アトランタ・ブレーブスのボビー・デューズコーチだ。球界から引退間際の老練のコーチが新たな目標に向かって歩み出す意思が籠っている。
彼と出会ったのは、川上憲伸(元中日)がブレーブスに移籍した2009年の春のキャンプ初日だった。細身で猫背。70歳を目前にしたデューズコーチからノックを受けた川上は「日本では絶対にあり得ない」と、驚きを隠さなかった。
デューズ氏には、文筆家というもう一つの顔があった。野球界で汗を流した53年間、書くことへの意欲が衰えたことはなかった。
オフは読書と執筆に没頭…物書きの道程は野球と重なるという
1960年にジョージア工科大からドラフト指名を受け、カージナルスに入団。メジャーでプレーする夢は叶わなかったが、マイナーの監督、メジャーのコーチ業で手腕を発揮。その中で芽生えたのが文筆家になることだった。幼少時代に暮らした祖父チャールズは弁護士にして詩人。マイナーリーガーだった父ロバートもかつて作家志望だったことから、デューズ氏は野球に劣らず書くことに強い興味を抱いていたという。
オフは読書と執筆に没頭する日々。デューズ氏はインプットとアウトプットで研鑽を重ね、晩年になると、ジョージア州カスバートの2年制大学、アンドリュー・カレッジで創作ライティングの教鞭をとった。信条の「(映画を)たくさん見てたくさん読み、豊かな感性を涵養して独自の発想力を養いペンを走らせなさい」を学生に説き、「Don’t imitate but do emulate(模倣せず模範とする)」の寸鉄式の警句に集約している。
「作家志望だった祖父チャールズの口癖は『読まなければ書けない』でした。物書きは誰もがこうして上を目指していくものですが、野球と重なりますよ。コーチの教えを自分で発展させて上手くなっていくことが大切です。だから私はきのうの、そしてきょうの自分を超えていけという意味で“Go beyond”をモットーにしています」
好きな作家を聞くと「パット・コンロイ」が返ってきた。字も読めず大統領の名も知らない離島に住む黒人の子どもたちに寄り添い教え導き、明日への希望の光を灯す1人の教師を描いたベストセラー小説『The Water Is Wide(コンラック先生)』を例に挙げ、デューズ氏は噛みしめるように言った。「私の思いといっしょなんです」。自身の作品のプロットには、機会に恵まれない環境でも辛抱強く前へと突き進んで行く人の姿が「いつも深層にあります」と、まっすぐな気持ちを添えた。
華やかな選手生活に幕引きをする日は必ず来る。引退後、新たな夢や目標を見つけられず苦労する選手は少なくない。昭和の時代、野球界から離れる者は飲食店の経営など個人事業主として再出発をするというのが記者の個人的な相場感だったが、今は、一般企業への就職も増え、稀ながら、法律や医学の道を選択した者もいる。野球の出口から様々な領域へと向かっていく姿は、子どもたちに実社会への対応を示し開拓精神を育む。これが少年野球人口の減少へ歯止めをかけるささやかな一策になり得ると言えば、穿ち過ぎだろうか。
2015年クリスマス翌日に76歳で死去
そういえば、今年の夏、フィラデルフィア・インクワイアラー紙にこんな記事が載った。
“メジャー通算225セーブを挙げ、2008年のワールドシリーズで胴上げ投手となった元クローザーのブラッド・リッジが47歳で考古学の博士号取得に挑戦している。2013年に引退すると考古学と宗教研究に興味が湧き、レジス大学のオンラインコースを受講。古代ローマ考古学の修士号を取った後、現在は考古学研究とその調査でイタリアのムルロという村に滞在し、博士号取得を目指す日々を過ごしている”
リッジが記事に寄せたコメントは、ビシッと決まる直球のように冴えている――「野球のフィールドでの成果以外に、何か達成感を得たいと思っているんです」。吸引力のある言葉に引き込まれた。
デューズ氏に話を聞いたあの日、プレゼントされたデビュー作の『 Legends Demons and Dreams』は大切に本棚に収めている。そして今年、彼が遺した全4刊の小説をそろえた。希望に満ちた彼の第二の人生に思いを馳せると、打撃練習で投げる時も両手に手袋をしたままだったデューズ氏が浮かんでくる。きっと原稿を書く指を守るためだったのだろう。
デューズ氏は2015年のクリスマス翌日に76歳でこの世を去った。質朴な人柄で誰からも愛された。あの優しい顔をもう一度見たかった。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)