サイド継続で異変「おかしくなった」 意識しても直らない…鉄腕・嘉弥真新也が激白した“苦悩”

ソフトバンク時代の嘉弥真新也氏【写真:荒川祐史】
ソフトバンク時代の嘉弥真新也氏【写真:荒川祐史】

全盛期は2017年と2018年…サイド転向のきっかけは監督室に呼ばれたこと

 ソフトバンク、ヤクルトで活躍した嘉弥真新也氏は、今季限りでの現役引退を決意した。通算472試合に登板するなど、サイドスローを生かして“左キラー”として実績を積んだ。晩年に味わったのは「スライダーが曲がらなくなる」という感覚。理想からかけ離れてしまう武器と、どのように向き合っていたのか。

 2016年オフにサイドスローに転向した。当時の指揮官は工藤公康氏。監督室に行くと、投手コーチとともに「サイドにしてみたらどうだ?」と転向を打診された。「嫌とは言えないですよ」と苦笑いで振り返っていたが、才能開花のきっかけとなった。2017年には58試合、2018年は67試合に登板してチームに貢献した。スライダーが「1番曲がっていた」というのも、この時期だった。

 2022年まで6年連続で50試合以上登板を成し遂げるなど、鉄腕としてブルペンを支えた。一方で、体の“異変”も感じ取っていた。スライダーが「曲がらない」。全盛期は横滑りするような軌道だったが、「膨らむんですよね。バッターに対して、リリースからバッて(膨らむと)いくとスライダーとわかってしまう。いい時はピュッて出て、鋭く曲がるんですけど」。バッターにも見極められるようになり、もう1度、最大の武器を取り戻そうと努力した。

 明確な理由は2つだった。「真っすぐが遅くなっていることも原因でした。真っすぐが緩いと、スライダーもぬるっとしてしまう。勢いの練習、ジャンプ系、ウエートとかもしたんですけど、やっぱり戻らない。回転数とか、手首の角度も動画で撮ったりしたんですけど、いざ試合になるとそこに集中はできないですから」。30歳を超えて、自分も居場所を作らないといけない立場。結果を残そうと思うと、試合でスライダーだけにフォーカスすることはなかなかできなかった。

 ヤクルト時代、そんな苦悩を首脳陣は理解してくれた。「『今日は打たれてもいいからやってこい』って言ってくれるんですよ。試してこい、新しい変化球もどんどんやってこい、って。そうやって言ってくれるコーチはありがたかったんですし、やりやすかったです」。今季は9試合登板に終わったが、絶対に恩返ししたい思いがモチベーションの1つだった。

村上宗隆に浴びたグランドスラム…後にチームメートとなり「気持ちよかった」

 もう1つの理由がある。スライダーの変化は「オーバースローからサイドにした時が1番良かったんですよ」と苦笑いする。自分だけの武器で成績を残したが、体には大きな変化が生まれていた。「サイドを続けていたら体がサイドになるんです。いろんなところからおかしくなって、それを直そうと思ったんですけど。だから宮西(尚生投手、日本ハム)さんとかはすごいです」。投球において、縦振りから横振りになってしまった。意識しても直せないレベルになり、少しずつ“キレ”は失われてしまった。

 嘉弥真が印象的な対戦と振り返るのは、2021年6月11日のヤクルト戦(PayPayドーム)。6回2死満塁、打席には後にチームメートとなる村上宗隆内野手だ。フルカウントからスライダーを投じたが、右翼席に消える満塁弾となった。「あれは投げミスではないんですけど、もうちょっと外に投げられればよかった。ホームランは4点、歩かせたら1点。順番があって、1番最悪になってしまったので、(捕手だった甲斐)拓也も『めっちゃ怒られた』って言っていました」と、痛恨の1球だった。

 今季から村上と同僚になると「村上も『気持ちよかった』って(自分に)言ってきましたね」と笑い飛ばす。「僕1回村上と対戦して三振を取っているんですよ。(2021年の東京)オリンピックの前かな。僕もちょっと大丈夫だろうというか。(打たれた時は)スライダーの低めを打たれて、『うわあ』って思いました」と過去の経験も生かそうとしたが、結果には繋げられなかった。現役生活を振り返ると「打たれた記憶の方が残っている」という嘉弥真らしいシーンでもあったのかもしれない。

 通算472試合に登板し、137ホールドを記録した。「本当に短かったです。一瞬でしたけど、自分1人では無理だった。関わってくれた人には感謝の気持ちです」。胸を張れる13年間だった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)

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