自分のミスから口論勃発、怖すぎた先輩の喝 居心地悪いロッカー「とにかく1人になりたい」

ロッテ時代の西村徳文氏【写真提供:産経新聞社】
ロッテ時代の西村徳文氏【写真提供:産経新聞社】

西村徳文氏は1986年から4年連続盗塁王…若手時代は先輩に恐れる日々

 1990年にパ・リーグ史上初めてスイッチヒッターで首位打者を獲得した西村徳文氏は、1981年ドラフト5位で鹿児島鉄道局からロッテに入団した。1986年からは4年連続盗塁王の快挙。ウエート場で取り組んだ下半身トレーニングが1歩目のスタート強化につながったが、実はキッカケは先輩が怖すぎたことだった。

 西村氏がまだ若手時代のチームには、昭和の時代を象徴するような内野手の先輩たちが存在していた。川崎球場のロッカーは内野手だけが別の部屋。捕手と外野手のロッカーや投手のロッカーはいつも雰囲気がよかったが「内野手は重かったんですよ……。冗談なんて誰も言えない」。

 ある試合で、西村氏が犯した走塁ミスでゲームセットとなり敗れた。大チョンボに反省しながら内野手ロッカーに戻ると、とある先輩が「ニシ、色々失敗して学んでうまくなればいいから」と声をかけてくれた。しかし直後、別の先輩が「1軍は勉強する場じゃないんだ!」と声を荒げた。自分のせいで言い合いになった2人の大御所に気まずさしかなかった。

「とにかく1人になりたかった。ウエート場は球場の外にあったので、いつもそこに行っていたんです」というように、ロッカーを離れ、西村氏にとって“憩いの場所”で気を休めることが増えた。

後輩も個性的…高卒1年目の“両手ポケット突っ込み”に叱責

 ある日、試合前にウエート場で過ごしていたら、恐れていた先輩が現れた。焦ってトレーニングを開始。今までやったこともなかったのに「頑張っているじゃないか」とお褒めの言葉をもらった。そうなったらもう、翌日からもやらざるを得ない。

「その先輩も試合前練習が終わるとよくトレーニングに来られていた。自分もトレーニングをやるようになって、そのおかげで体は強くなりました。特に下半身の筋肉がつき出してから、1歩目のスタートで今までと違う感覚を味わうことができたんです」。思わぬ“副産物”だった。

 そんな西村氏だが、1989年に選手会長に就任するなどチームの中心選手となると、若手には厳しく接したという。「ダメなものはダメで言っていかないと、若い選手が上になったときに下に何を教育するんだと。言うことによって自分もしっかりしないといけないし、その姿で納得してくれるんじゃないかなという思いが強かったんです」と明かす。

「ある高卒1年目の選手が入団直後、ランニングメニューで1本走って歩いて戻ってくるときにポケットに両手を入れていた。それは許せないという思いが強かったので、怒鳴りに近いくらいきつく言いましたね。あとKOされた後に、試合中にも関わらずロッカーでゲームをやっていたのを見たときは『お前が取られた点を野手が必死になって取り返そうとしているんだ。すぐベンチに行って応援しろ』と怒りましたね」。個性豊かな先輩と後輩に囲まれていた。

(町田利衣 / Rie Machida)

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