PL時代は「本当にきつかった」 怪物攻略も…漏らした本音「思い出したくない」

楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】
楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】

元楽天監督・平石洋介氏、39年ぶりにユニホームを着ないシーズン

 昨年限りで西武のヘッドコーチを退任した平石洋介氏が、39年ぶりにユニホームを着ないシーズンを迎えた。5歳で野球を始めてから初めてのこと。複数の球団から絶え間なく届くオファーを断り、グラウンドの外から野球に携わる道を選択。「現場と違う場所から野球を見たとき、新しい発見とか見え方があるかもしれない。大変だけどプラスになることもある。新たなことにチャレンジするなら、ワクワクせなあかん」と胸を躍らせている。

 1980年4月23日生まれの平石氏は“松坂世代”の一人で、同世代で初のプロ野球コーチ、監督となるなど、若くして指導者としての実績を積み上げてきた。ただ、その道のりは決して平たんではなかった。PL学園高時代、横浜高・松坂大輔氏(元西武)との2度の激闘はスポットライトを浴びたが「PL時代はあんまり思い出したくないというか、振り返りたくない部分もある」という。

 2年春に関節唇の損傷などで左肩を手術し、迎えた秋。まだボールも握れない状況だったにもかかわらず、新チームの主将に任命された。「マジか、と思って……。こんな俺にキャプテン務まるのかとか、言いたいこと言われへん、言ったらあかんやろ、って思ってた」。それでもチームメートの信頼は厚く、話を重ねていくうちに「前向きになれた」という。秋の大阪大会で準優勝したチームは近畿大会ベスト8。年明けに選抜切符の吉報が届いた。そして選抜はベスト4。平石氏が「2番・右翼」でスタメン出場した準決勝、立ちはだかったのが横浜高の松坂氏だった。

 6回に2点先制も終盤に3点を奪われ逆転負け。平石氏は無安打に終わった。「“打倒・横浜”“打倒・松坂大輔”、それしか考えてなかった」という夏の甲子園。リベンジを期し、準々決勝で再び激突した。左肩が万全ではない平石氏はベンチスタートで、三塁コーチャーを務め、相手バッテリーに揺さぶりをかけた。「スタメンじゃない中で何かできないかなと思って……。松坂大輔ってあんだけのピッチャーなので、ちょっとやそっとじゃ崩せない。僕はキャッチャーの小山良男(元中日)を探ったんです。キャッチャーがバタバタしたらピッチャーに少なからず影響が出るんじゃないかと思って、心理戦を仕掛けたんです」。

捕手のクセ見破り3パターンの大声で指示、真の狙いは…心理戦

 どっしり腰を落として構えたら直球、腰を浮かし気味なら変化球。早々に見破った平石氏は「狙え! 狙え!」「いけ! いけ!」「絞れ! 絞れ!」と3パターンの大声で指示を出した。まだ打者への伝達が禁止されていない時代で、勝つための当然の手段。PL学園は2回に3点先制したのが激闘の序章となる。ただ、アルプスの大声援もあり、実際には平石氏の指示が完全に打者まで届いていたかはあいまいだ。「僕のおかげで打てたわけじゃない。そう思われたら、打った選手に申し訳ない。本当に、あれがあったから打てたんじゃないです」と繰り返し、前日までの徹底した対策や練習の成果であることを強調した。

「僕からしたら構えが明らかに違ったので、球種はもちろん分かっていたんですけど、もうちょっと深い意味があったんです。本当に伝えたいんだったら、あんなに分かりやすくやらないですよ。相手にばれずに伝えようと思ったら、こっそり伝えるんで」。あえてやっていたのは相手捕手・小山へのメッセージだった。「声とか視線で(見ているのは)“松坂大輔じゃないで、お前やで”って。だから小山もずっとこっちを見るし、相手の三塁側ベンチも僕の方ばっかり見るし、“よし! きたきたきた!”みたいな。僕の意図、作戦は大成功だったんですよ」

 それが27年前の“真実”だ。チームは4回にも1点、7回にも1点を奪った。ただ相手も粘って延長戦へ。途中出場の平石氏は1点を追う延長11回に安打を放って同点のホームを踏んでいる。この試合、松坂氏に250球を投じさせながら延長17回の末、再び惜敗。球史に残る激闘を演出したものの「あんまり振り返ることがなくて。見るのが嫌だったんですよ。負けたからとかじゃなくて、キャプテンとしてはある程度やった自負はあるんですけど、肩を手術したことで満足いくプレーができず、本当にプレーがきつかったんでよ」と複雑な心境をのぞかせた。

 もちろん、嫌な思い出ばかりではない。「あの試合があったから注目してもらって……。それに松坂大輔がプロに入って、すぐにあんだけ活躍してくれたんで、またあの試合がもっと取り上げてもらって感謝しています」。甲子園春夏7度の優勝を誇るPL学園野球部は存続の危機に陥っており「やっぱり寂しい」という思いの一方「PLで学んで身につけたことは生きることがいっぱいある」と感謝も忘れない。

 高校卒業後は左肩の状態も上向き、大学、社会人時代には日本代表にも選出された。アマ野球で実績を積み重ね、2004年ドラフト、新規参入した楽天から7位指名を受けて入団。即戦力の期待を受けて臨んだプロでは、高校時代とは違った厳しい試練が待ち構えていた。

(尾辻剛 / Gou Otsuji)

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