佐々木朗希に「誰もいなかった時」 ド軍関係者が明かす“秘話”…獲得までの軌跡

ドジャース・佐々木朗希【写真:荒川祐史】
ドジャース・佐々木朗希【写真:荒川祐史】

時代が令和に変わる前に大船渡を訪れていたド軍スカウト

 メジャー複数球団が獲得競争に動いた佐々木朗希投手は、なぜドジャースを選んだのか。メジャー挑戦を夢に描いていた本人だけでなく球団側もまた、佐々木が高校生の頃から獲得を熱望していた。米スポーツ局「FOXスポーツMLB」が13日(日本時間14日)に公開した記事で、入団に至るまでの軌跡を球団関係者が証言している。

「どの球団もそれぞれ魅力はあったんですけど、いろんな話をした上で、総合的にドジャースが一番良かったという判断です」。1月22日(日本時間23日)の入団会見で、佐々木はドジャースを選んだ理由をこのように語っている。「今回の交渉では日本人が在籍しているかどうかは、決断する上で重要視していませんでした」。

 その一方、ドジャース球団も佐々木の獲得は7年越しの悲願だった。佐々木は大船渡高3年となった2019年に最速163キロを記録し、すでに“令和の怪物”として全国にその名をとどろかせていた。だが、FOXスポーツのローワン・カブナー記者による「誰もいなかった時に我々はそこにいた」と題した記事では、ドジャースの関係者は、佐々木が高校2年の頃から地元である岩手県大船渡市に足を運び、スカウティングを始めていたことを明らかにしている。

 同記事で、球団で環太平洋地区のスカウトを務めていたジョン・ディーブル氏は「僕たちはそこにいました。まだ誰もいない時に」と語る。高校時代から試合を20~30回ほど視察し、当時から「体格、柔軟性、球速、変化球を投げる能力はすでに際立っていた」と確信を持っていたという。

佐々木朗希は「1度も期待を裏切りませんでした」

 当時はまだ本人に接触しなかったというが、ディーブル氏は「私たちは遠くから見守っていただけでした。それでも、彼は1度も、我々の期待を裏切りませんでした」と振り返る。球団の選手人事担当副社長であるゲイレン・カー氏も2019年初めに大船渡を訪問し、「この年齢の選手で、最も魅力的な才能を持った選手の1人」「オオタニ以来、こんなに高校生の日本人選手を欲しがったことはなかった」と感じていた。

 高校卒業後の獲得はかなわなかったが、それでも「努力して、現地に足を運び、その場にいること、関心を示すことも重要でした」と、ドジャースは粘り強く佐々木を追い続けた。その先には、メジャーリーグ移籍のタイミングが来たと時、ドジャースとして準備万端で迎えることが念頭にあった。 

 同記事で、スタン・カステンCEOは「2年前、そして1年前に、ロウキが移籍可能になるだろうと考えていました。そしてついに今その時が来たのです」と語っている。

 3月18、19日に東京ドームで開かれるカブスとの開幕戦では、いずれかの試合で先発することが内定している佐々木。球団関係者の思いも背負い、ドジャースのユニホームに袖を通した最初のマウンドで、どのような投球をみせるのか注目だ。

(Full-Count編集部)

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