仰いだ指導も「知らん。そんなもん」 野村監督の指導に芽生えた“疑問と感謝”

楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】
楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】

元楽天監督・平石洋介氏、2013年に田代富雄氏と1軍打撃コーチに

 元楽天監督で、昨年限りで西武のヘッドコーチ兼打撃戦略コーチを退任した平石洋介氏。複数の球団からのオファーを断り、グラウンドの外から野球に携わる道を選んだ44歳の名指導者には、プロでも忘れられない出会いがいくつもあった。

 プロ入り2年目の2006年。楽天監督に就任したのが野村克也氏だった。「野村さんには、けちょんけちょんに言われてたんです」。野村氏の指導方針は「三流は無視、二流は称賛、一流は非難」。期待の裏返しである厳しい言葉も、度が過ぎれば感じ方も変わってくる。「それ(指導方針)が全員に当てはまるのか、いつも疑問に思っていた」。打撃フォームに悩んでいたある時、野村氏に直接指導を仰ごうとすると、選手と一定の距離感を保つ指揮官から「知らん。そんなもん、打撃コーチに聞け」と突き放されたという。

 2006年は1軍出場が2試合、2007年は1軍出場なし。2008年も6試合出場と結果を残せなかった。野村政権ラストイヤーだった2009年はプロ1号を放つなど26試合で打率.254。成績は上向いたが、多くのチャンスが与えられたわけではなく、周囲から「お前、なんでそんなに野村さんから言われるの?」と気遣われるほどだった。データを重視した細かい野村ID野球は「こんなに考えるんだとか、すごく勉強になった」とする一方で、指導方法は「反面教師です」と言い切る。「伝え方、伝える能力はめちゃくちゃ大事」だと力説する、選手に寄り添う指導スタイルは、現役時代の苦い経験が糧となっている。

 2012年、31歳で2軍育成コーチに就任し、翌2013年には1軍打撃コーチとなった。この時、同じく2軍から1軍打撃コーチに“昇格”したのが、現役時代に「オバQ」の愛称で親しまれた田代富雄氏だった。この出会いは、平石氏のその後に、大きな影響を与えることになる。タッグを組んだ田代氏は、26歳下の平石氏に「お前は若いけど、今後のために生きるから全部お前が中心にやれ。その代わり俺が全部責任は取るから」と大きな心でフォローしてくれた。

コーチ、選手が年上でも「遠慮しなかった」…リーグ制覇、日本一も達成

 田代氏に何より感心したのが「黙って見守ることができる」ということ。現役時代、複数のコーチから全く違う意見を言われて混乱した経緯がある。「田代さんに現役時代に出会いたかったなぁ」は偽らざる本音だろう。ああしろ、こうしろと口を出す指導者が多い中で、その指導法は魅力的だった。「選手を我慢して見られる。でも、ここぞってタイミングで(的確に)言ったり、冗談を交えて伝えたり。最高やなって。1軍に上がった時、最初に一緒にやれたコーチが田代さんで良かったし、めっちゃ参考になったんですよ」。

 若いコーチとして若手との距離感が近いというプラス面はある一方、周りのコーチは全員年上。現役選手でも年上も何人かいて、指導する上で難しい部分はあったが、田代氏の存在は頼もしかった。「難しさはありましたけど、選手が年上だから言えないとか、遠慮はあまりしなかった。そんなん遠慮するんやったら、コーチやらない方がいいし、自分の思ってることははっきり伝えるようにしてました」。小中高だけでなく大学でも主将を務めた男はチームをまとめる術を身につけている。

 頼れる“先輩”にも助けられた。後に自身がヘッドコーチとして支えることになる松井稼頭央氏だ。PL学園の5学年上である松井氏は2011年に楽天加入。2012年から6年間、選手と指導者の立場で接する中、「ちゃんと敬意を示してくれて。2人の時は普通にしゃべるんですけど、ほかに誰か1人でもいたら必ず敬語を使ってくれていた。そういうのは本当に救われました」と感謝する。

 平石氏が田代氏とともに1軍打撃コーチとなった2013年、楽天はパ・リーグ初制覇。日本シリーズも制して日本一まで駆け上がり、東日本大震災からの復興を目指す東北に勇気と希望を与えた。この時、指揮を執っていたのは就任3年目の星野仙一監督。星野監督との出会いもまた、大きな意義があった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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