新人王から6年で巨人へ放出 オリックスから“拒否”も…感謝した監督の根回し
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元阪急・熊野輝光氏、6年目に野茂英雄から生涯の思い出に残る一発
27歳で阪急入りした元新人王外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)はプロ7年目の1991年オフに巨人に移籍した。勝呂博憲内野手との1対1の交換トレードだった。球団が阪急からオリックスに変わった1989年以降、出場機会は減少していた。トレードはオリックス・井箟重慶球団代表に呼ばれて正式に通告されたが、実はそれ以前に土井正三監督から「『ジャイアンツで勉強してこんか』と言われていた」という。
“オリックス元年”の1989年、プロ5年目の熊野氏は71試合の出場に終わった。当時の上田利治監督の起用法はシビアだった。チームには南海からベテラン大砲の門田博光外野手がトレード加入、藤井康雄外野手、本西厚博外野手、南牟礼豊蔵外野手らの台頭もあって、熊野氏の出番は減った。開幕から3試合連続で守備だけの出場で、4戦目に代打でシーズン初打席を迎えた。4月にスタメン機会はゼロだった。
目立ったのは西武戦での出場だ。相性のいい渡辺久信投手と郭泰源投手がいたからなのは明白で、熊野氏も「そういうことでしょうね」と話す。この年の初スタメンは「6番・左翼」で出た5月2日の西武戦(西武)だったが、相手先発は渡辺久。翌3日もスタメン出場したが、相手先発は郭泰源だった。熊野氏もまた相性通りに結果を出した。渡辺久が先発した時にスタメンで出て、渡辺久が降板した途端に交代したこともあった。
6年目の1990年は打率.246、6本塁打、27打点、12盗塁。与えられた仕事に全力で取り組み、数字を少し取り戻したが、熊野氏にとって満足できるものではなかった。その中で印象深いのは7月7日の近鉄戦(西宮)で野茂英雄投手から放った3号ソロという。「野茂は(ドジャースなど)メジャーであれだけのピッチャーになったんで『俺は、あの野茂からホームランを打った』ってずっと言っていましたからね」と笑う。
「打ったのは真っすぐです。野茂のフォークは打てませんからね。真っすぐもいつも詰まっていたんです。だから前で、前で、っていう感じね。真ん中ちょっとインコースより。甘いところに投げてくれましたね」。七夕に飛び出した思い出の一発だった。ちなみに、この年の9月9日の西武戦(西宮)で森山良二投手から打った6号ソロが熊野氏の通算50号。結果的には、それが現役ラスト本塁打となった。
「以前から『ちょっとジャイアンツに行って勉強してこんか』って」
1990年限りで上田監督が退任。1991年シーズンから巨人V9戦士である土井氏がオリックス新監督に就任した。熊野氏は少年時代、巨人ファンで、なかでも一推しは土井内野手だった。「僕にとっては憧れの人でもあったし、ちょっとワクワクしたんですけどね」。だが、出場機会はさらに減って45試合の出場で82打数17安打の打率.207、0本塁打、1打点、2盗塁。オフには巨人へのトレード移籍が決まった。
これについて熊野氏はこう話す。「以前から土井さんには『お前、ちょっとジャイアンツに行って勉強してこんか』ってチラっと言われていたんです。それはそれでとても感謝していますよ。上田監督の時にも当時ジャイアンツのヘッドコーチだった近藤昭仁さんに『お前のトレードをちょっと言ったんだけど(オリックスが)うんと言わなかったわ』とか言われていた。それを土井さんがやってくれた。トレードならセ・リーグに行ってみたいというのもあったのでね」。
正式には兵庫・芦屋市内で井箟代表からトレードを通告されたという。「確か選手会のゴルフをやっていた日の夜に呼ばれたんです。それより前に土井さんになんとなく言われていたし、すぐにトレードかなと思いましたけどね。井箟さんだったと思うけど『巨人にどうや』と聞かれたので『行けと言われたら行きます』と返事しました」。西宮に家を構えていたが、東京には単身ではなく、家族で引っ越した。
「巨人には大学時代から知っている(1歳年下の原)辰徳もいたし、篠塚(和典)は同学年だったしね。実際、2人にはとても世話になりました」と熊野氏は言う。「家探しをする時には辰徳の関係で、菅野(智之投手)のお父さんが車を運転してくれて、いろんなところを見せてくれたんですよ。菅野のお父さんは当時、不動産会社に勤めていたのでね。篠塚のところとは家族ぐるみの付き合い。篠がいたのはホント大きかった。いろいろと助かりましたよ」。
プロ8年目、35歳になる年での新天地。藤田元司監督率いる巨人には阪急時代の先輩・簑田浩二氏が1軍総合コーチで、香川の大先輩・中西太氏も1軍打撃コーチだった。選手にも、金メダルを獲得した1984年のロサンゼルス五輪で一緒だった宮本和知投手や上田和明内野手がいた。背番号は「2」。いろんな縁も感じながら、熊野氏の初のセ・リーグ生活はスタートした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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