震災発生も…星野監督の一喝で離れた距離「この人とは無理」 2年後に知った真意

楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】
楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】

元楽天監督・平石洋介氏、現役時代の遠征中に東日本大震災を経験

 元楽天監督の平石洋介氏は、楽天で現役としてプレーしていた2011年に東日本大震災を経験。発生時にはオープン戦のため兵庫にいたが、星野仙一監督が選手に向けて放ったまさかの“一喝”に驚いたという。

 結果的に現役最終年となる2011年。この年から星野氏が楽天監督に就任した。兵庫・明石市で行われた3月11日のロッテとのオープン戦の8回。突然、試合が止められた。「東北が大変なことになっている!」。多くの選手の家族が仙台にいる状況。チームの選手会役員だった平石氏は「どうやって仙台に帰るか、何か仙台を手助けできることはないか、連日話し合っていた」という。それを見た星野氏から「お前ら野球だけやっとけばいいんじゃ!」と一喝され「何て冷たい人や。この人とは無理や」と感じたと振り返る。監督と選手の距離が離れる中、それが“誤解”だったと気づいたのは2年後のことだった。

 2013年には1軍打撃コーチに就任。ある時、勇気を持って星野氏に問いかけた。「監督、何であの時あんな言い方したんですか?」。すると「俺らがあの時、仙台に帰って何ができるんや? まだ発見されてない方もたくさんいて、がれきも山積みになっていて。たかが1日、2日帰ったところで、僕ら帰りましたってきれいごと言って何ができる? それならもっと行かないかん人がおるやろ! 俺らが行ったら、行かれへん人がおるやろ!」。被災地を元気づけることはできたかもしれないが、優先順位は決して高くない。闘将の真意にようやく気づかされ「俺、何て浅はかやったんや」と反省した。

 星野氏は震災時、選手の家族や関係者がいち早く避難できるようバスなどを手配。しかし詳しい説明はなく、平石氏同様に多くの選手にわだかまりが残った。コーチになって本心を聞き出し「選手に実はそうじゃないぞって伝えるのも使命やなと。僕がが伝えなあかんなと、選手にも結構しゃべるようになった」。事あるごとに誤解を解いていくように腐心した。

代打バント指令、指名された選手は「バントうまくないんです」

 2013年、忘れられないもう一つの出来事が起こる。ある試合の中盤、星野氏から走者が出たら、ベンチのある選手に「代打バント」の準備をさせるよう指示が出た。ただ、平石氏から見て、星野氏が指名した選手は「器用そうに見えて全然バントがうまくなかった」。ベンチには俊足で代走のスペシャリストの森山周外野手が残っていた。「監督、終盤に代走・森山、取っておきますか? そっちが大事ですか? このバントとどっちが大事ですか?」。

 監督に意見できないコーチも多い中、若きコーチは違っていた「相手が星野さんなんで、ひるみかけたんですけど……。ここで自分が思ってること言わんかったら後悔する」。闘将に「何でや?」と返されると「いや実はあいつ(監督が指名した選手)、バントあんまりうまくないんです。このメンバーの中では絶対に(バントなら)森山なんです。もし代走より、今のバント(が大事)っていうのなら、森山いかせてもらえませんか。僕、あいつとやったら心中できます」と説明。「お前、そこまで言うんやったら、いけ!」とゴーサインが出た。

 平石氏の心臓はバクバクだった。「もう一番(に考えたの)は、出塁するな! ですよ。出たらバントなんで」。代走の準備をしていた森山に歩み寄り「代打バントいくぞ。ええから、落ち着いていけ。しんどいのは分かる。ミスったら監督のせいやと思っとけ。普通にやれば大丈夫や」。そんな中、打者が出塁。手汗がにじむのが分かった。「頼むから決めてくれ」と願う中、森山は一発で送りバントを成功させた。「多分、それなんです。それ以降、星野さん、それまでと明らかに変わったんですよ。えらい、かわいがってもらいました」。

 言うべきことをしっかり進言して信頼を勝ち取り、以降、何度も食事に誘われるなど、目をかけてくれたという。この年、チームは一つにまとまり、パ・リーグ初優勝。日本一まで駆け上がり、東日本大震災から復興を目指す東北は大いに盛り上がった。その一翼を担った名将との絆。多くの出会いが、自身の監督就任への礎となっている。

【写真】「娘さん大きくなったな…」“イケメンパパ”平石氏との誕生日ショット

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