NPB去って29年も…変わらぬ日本への感謝 元助っ人が忘れぬ恩師「自由を与えてくれた」

ロッキーズで打撃コーチを務めるヘンスリー・ミューレン氏【写真:Getty Images】
ロッキーズで打撃コーチを務めるヘンスリー・ミューレン氏【写真:Getty Images】

元ヤクルトのミューレン氏が明かした日本への感謝

 日本を去って29年が経ったが、メジャーの舞台で“ノムラの教え”を伝えている。かつてヤクルトに所属したヘンスリー・ミューレン氏は現在、ロッキーズで打撃コーチを務めている。今でも流暢な日本語で話す元助っ人は、日本で最も印象的な思い出として「素晴らしい監督がいたこと」を挙げた。

 カリブ海のオランダ領キュラソーで生まれたミューレンはNPB初のオランダ人選手として1994年にロッテに入団した。当時まだ26歳。ヤンキースでプレーしていたが、「山あり谷ありの状態が5年間続いていて、出場機会が限られていたんだ」。ロッテのオファーを受け、迷いなく日本行きを決断した。

 ロッテでは前半戦は打率1割台に苦しんだ。「三振も量産していた。日本のスタイルに慣れる必要があった」。後半戦こそ調子を上げ、最終的に23本塁打、69打点を挙げたが、オフに自由契約に。ヤクルトへ移籍して、野村克也監督と出会った。

 野村監督は「私たちが力を発揮できるよう自由を与えてくれたんだ。ロッテでは少し違ったが、ノムラはとても協力的だった」。打撃コーチとともに投手の攻略方法を教えてくれたという。「(野村流を)マスターするには少し勉強する必要はあったけど、その年は29本塁打をマークすることができた」。同年は“恐怖の8番打者”として日本一に貢献した。

 2020年2月11日、野村監督がこの世を去り5年が経ったが、海を渡った米国、そしてオランダでも“ノムラの教え”は引き継がれている。ミューレン氏はMLBの打撃コーチ、そしてWBCのオランダ代表監督を務めるなど、指導者として第2の人生を歩んでいる。

 2016年にはオランダ代表の監督として来日。野村監督と再会した。その後も何度も来日しているが、「全員が私のことを覚えてくれていたから、グレートだったよ! 日本は大好きだよ!」と嬉しそうに話す。

「素晴らしい思い出だった。私たちの監督はベリー・ベリー・グッドだった」。柔らかい表情で、亡き恩師に感謝を偲んだ。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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