燕OBが明かす長嶋一茂氏の“逸話” 野村克也氏のミーティングで「寝てた」

ヤクルト黄金期を支えた飯田哲也氏(右)と川崎憲次郎氏【写真:荒川祐史】
ヤクルト黄金期を支えた飯田哲也氏(右)と川崎憲次郎氏【写真:荒川祐史】

ヤクルト黄金期を支えた飯田氏と川崎氏が語る「日本人ダントツ」の打者

 1990年代のヤクルト黄金期を支えた飯田哲也氏と川崎憲次郎氏。球団の歴史に名を残してきたOB2人がFull-CountのYouTubeチャンネルで対談し、当時の秘話を語っている。その中で、現役時代に度肝を抜かれた1人の日本人打者の名前を挙げた。

 その人とは、今やタレントとして名を馳せている長嶋一茂氏。巨人軍終身名誉監督で“ミスタープロ野球”と称された長嶋茂雄氏の長男である。1987年のドラフト1位で立教大からヤクルトに入団し、現役を引退する1996年まで9年間プロとしてプレーした。

 鳴り物入りでヤクルトに入団した一茂氏だったが、ルーキーイヤーの88試合がキャリア最多の出場に。1993年には父が監督を務める巨人へと移籍したが、結果が出ずに3年で戦力外通告を受けて引退した。通算384試合で放った本塁打は18本だった。

 ただ、一茂氏よりも1年早くプロ入りしていた飯田氏はその鮮烈な印象を今でも覚えているという。「一茂さんはすごいバッターでしたよ。日本人でも飛距離はダントツだった」。そのバットから繰り出される打球は凄まじかったと回顧した。

 一茂氏の翌年にドラフト1位でヤクルトに入団した川崎氏も「ヤクルトの中で1番飛ばしてましたからね。飛距離は絶対に一茂さんだった」と同調する。プロではなかなか結果の残せなかった一茂氏だが、同じ選手たちからは一目置かれる存在だったようだ。

 それほどの力の持ち主でありながら、なぜ開花しなかったのか。飯田氏は「でも、野球に興味がないんだよね。興味はあったかもしれないけど、感じなかったですね。『今日スタメンな』と言われても『あ、そうですか』みたいな感じでしたから」と振り返る。

 昨年2月に亡くなった野村克也氏の下でプレーしていたこの3人。“野村ID野球”として知られ、長時間のミーティングも珍しくなかった当時のヤクルトだが、ここでも一茂氏の存在は際立っていたようで、飯田氏は「一茂さんは寝てたけどね。さすがだよね」と知られざるエピソードを披露していた。

【動画】「すごいバッターでした」ヤクルト黄金期を支えた2人が長嶋一茂氏を語る

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