0-30の完敗からの船出 千葉学芸を勝てるチームに押し上げた強化の“サイクル”
自身は高校3年の夏に地方大会決勝で敗れ、指導者として甲子園を目標に
今年の春季千葉県大会で初優勝を果たした千葉学芸。15日に春季関東大会に出場し、関東一(東京)に敗れたが、接戦を演じた。2000年に東金女子から共学になり、約20年で“戦国”千葉を勝ち上がるまで強くなったのは、2017年から就任した高倉伸介監督の功績が大きい。過去にはバドミントン部の顧問を務めるなど他競技から学んだ指導法で生徒たちを育てていた。
「目標は勝って反省することですけど、まずは自分たちがやるべきことをしっかりやること。勝ち負けは結果ですから」。そのように意気込み迎えた15日、春季関東大会初戦(山日YBS球場)は、9回裏に2-0から関東一に逆転サヨナラ負け。それでも、エース・北田悠斗投手(3年)が8回まで3安打無失点に抑えるなど、千葉学芸の名を県外にも広めた。
どのようにして強くなってきたのか。高倉監督の思いをを聞いた。
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脳裏には約30年前の夏の記憶が刻まれている。1993年夏の三重大会の決勝戦。当時、三重高の投手だった高倉監督は海星に0-1で敗れ、甲子園出場を逃した。
「悔しくて……それが指導者を目指そうと思ったきっかけです」。勉強して、名城大に進学。野球をやる傍ら、社会の教員免許も取得した。その後は、1999年から母校・三重で3年間コーチ、監督を務め、公立校でも指導者としてのキャリアを積んでいった。
転機となったのは、皇学館(三重)への異動だ。野球部の指導者として誘われたが、任されたのは未経験のバドミントン部の顧問だった。やりたくなかった……それが本音だった。
「でも生徒が熱心で、やるからには勝たせてやりたいと感じるようになりました。その経験があったから、今の指導ができていると思います」
野球とは違う個人競技。チームの全体像を見る野球とは異なり、選手個々としっかりと向き合う指導を学んだ。未経験ながら、就任3年で男女ともにインターハイへ導くと、その実績を買われた。千葉黎明から声がかかり、コーチに就任。その後、2017年に千葉学芸の監督のオファーが届き、受諾した。
「母校は甲子園常連ですけど、ここ(千葉学芸)は実績もない。自分の力がどこまで通用するか試したかったのが、決め手ですね。最初は部員14人からのスタートで、最初の練習試合は竜ヶ崎一(茨城)に0-30で負けたんです」
チームを強化するために、生徒の意識から改革した。まずは練習試合に勝つという目標を立て、負けると悔しさを植え付けた。
「人間は努力すればするほど、負けると悔しいんですよ。だから、練習して負けて、悔しくて、またさらに練習する。そういうサイクルを作るようにしました」