【小島啓民の目】ロッテ石川、オリ吉田、ハム浦野 飛躍の裏にある変わらないライバル関係
ライバル出現は成長のチャンス
社会人野球に興味をお持ちの方、オリンピックに興味のある方なら聞いたことがあるかもしれません。2013年に中国の天津で行われた東アジア競技大会、ご存知でしょうか。あまり知られていないのが実情ですね。
オリンピックのアジア版がアジア競技大会、アジア競技大会の東アジア版が東アジア競技大会です。
この東アジア競技大会、第6回を数えるのですが、野球が開催されたのは、第6回が初めてで、野球競技は最初で最後となるなどとの噂があった大会でした。私が監督を務めさせていただきました。
野球競技は、日本、台湾、韓国、中国、グアム、香港、モンゴルの計7チームが参加し、台湾、韓国はプロ選手で構成、日本は大学・社会人の連合軍で立ち向かいました。混成と言っても、大学生は富士大学の山川穂高(現西武ライオンズ)一人でした。
この時の日本代表チームは、私が請け負った大会ごとの代表チームの中でも、最強のチームと言えます。
大会直後のドラフトにおいて投手が5人(石川歩・ロッテ、浦野博司・日本ハム、東明大貴・オリックス、秋吉亮・ヤクルト、吉田一将・オリックス)、野手が4人(井上晴哉・ロッテ、田中広輔・広島、山川穂高・西武、井嶺雅貴・中日)と24名中9人がドラフト指名されました。
その中でも、社会人東京地区の3羽ガラスと言われていたJR東日本・吉田、セガサミー・浦野、東京ガス・石川は常にお互いをライバル視し、チームに刺激を与えていたようです。
全日本に招集して2大会を迎えた吉田は、既にこの東アジア大会におけるエース格とチーム内で位置づけてられ、一歩リードという感じでした。吉田に負けたくないと浦野、石川も東京地区で開催される大会においては、お互いに闘争心むき出しで投げ合っていたように感じました。
しかし、吉田が所属するJR東日本はその当時は殆どの大会で決勝まで駒を進めるというチームレベルで、浦野、石川は少し実績という面において気後れをしていた感も見受けられました。特に石川はチーム内でも確固たる地位を獲得していたわけではなく、絶対的なエースになりえていませんでした。ストレートは非常に良いものを持っているにも関わらず、肝心なところで甘く入った変化球を打たれるというケースが多くありました。