両監督の思惑が勝負のポイントに 東海大相模・門馬監督の鮮やかな采配とは
1、2点勝負と見た東海大相模、4、5点勝負と見た日本航空石川
第90回記念選抜高校野球は1日、大会10日目を迎え第1試合は東海大相模(神奈川)が3-1で日本航空石川(石川)を下しベスト4進出を決めた。強力打線を持つ両チームの戦いは着実に1点を奪いにいった東海大相模が制した。この一戦を沖縄・興南高校で春夏通算6度の甲子園出場を果たし、京都大学などでも監督を務めた比屋根吉信氏(66)に解説してもらった。
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両チームともに打撃力が高く力の差はなかった。この試合のポイントとなったのは両監督が“何点勝負”になると見ていたかだ。
日本航空石川の中村監督は4、5点勝負と見ていた。1-1と同点の6回に先頭の4番・上田が四球を選んだが送りバントはしなかった。また、1点を追う8回にも先頭の2番・的場がヒットで出塁したが強攻策に出た。3番・原田、4番・上田は今大会でも素晴らしい打者だが、相手は激戦区・神奈川を勝ち抜く術をもっている東海大相模だ。強攻策は決まれば流れを一気に持ってこれるが、失敗した時のリスクは大きい。ここが勝負の分かれ目だった。
対する東海大相模の門馬監督はこの試合を1、2点の勝負だと考えていただろう。得点には結びつかなかったが3回無死一塁から犠打。6回には9番・佐藤のセフティーが決まると1番・小松はバントの構えで相手を揺さぶり、最後は追い込まれながらもバスターで確実に次の塁を奪った。そして決勝点となるタイムリーが生まれた。
継投も見事だった。1-1の5回。2死一、二塁から先発の野口からエース・斎藤に躊躇なく交代した。斎藤は四球を与え満塁のピンチを背負ったが無失点で切り抜けた。ここを勝負所と見た門馬監督の采配がドンピシャではまった。3回2死一塁からの牽制でアウトを奪い、4回の2点目を許さない中継プレーなど試合巧者ぶりが目立った。
また、東海大相模の3番・森下が8回に試合を決定づけるタイムリーも大きかった。ここまでノーヒットのままきていたが4打席同じ失敗はしなかった。踏み出す左足が着地した時もズレることなくしっかりと自分のスイングをしていた。チームの中心打者が決定打を放ったことで、次の試合も乗っていけるだろう。
監督の采配にはその時、場面によって変わってくる。チームの特徴もあり一概には言えないが、今日の試合だけを見れば1、2点勝負になると考えた東海大相模の門馬監督に軍配が上がった。
〇比屋根吉信 (ひやね・よしのぶ)
1951年9月19日、兵庫県尼崎市出身。66歳。報徳学園高から大阪体育大に進学。卒業後は西濃運輸で日本選手権にも出場。1976年に沖縄・興南高の監督に就任。仲田幸司、デニー友利ら多くのプロ野球選手を輩出。監督生活10年間で春夏通算6度、甲子園に導き1980年の選手権大会ではベスト8入りするなど同校を強豪校に作り上げた。その後は社会人野球・阿部企業、熊本・有明高の監督を務める。2010年から12年まで関西学生野球リーグの京都大学の監督を務め、田中英祐(元ロッテ)を育てた。
(Full-Count編集部)