「MLBを永久に変えた」 日本人メジャーリーガーの“パイオニア”に再脚光
野茂英雄氏は1995年からメジャーで戦い通算123勝を挙げた
メジャー通算123勝を挙げた野茂英雄氏について、MLB公式が「ノモはMLBを永久に変えた」としてその功績を特集した。エンゼルス・大谷翔平投手ら数々の日本人選手がメジャーの舞台で戦っている今、“パイオニア”となった存在が再脚光を浴びている。
「今日、日本人選手の才能と影響を抜きにしたMLBを想像することは難しい」とされたように、ダルビッシュ有、前田健太、田中将大ら数多くの名前が挙がり「彼ら全員の前にはヒデオ・ノモがいた」。1995年2月13日(日本時間14日)にドジャースが野茂氏との契約を正式に発表したことを「MLBが永久に(より良いほうに)変わったのは、27年前のこの週。結果として極めて重大な出来事となった。95年以降の26年間、60人以上の日本人選手が後に続いた」と振り返った。
記事によれば、野茂氏がメジャーでのプレーに興味を持ったのは、プロ入り前の1988年、野球が公開競技として行われたソウル五輪でのこと。日本は米国に決勝で敗れたが、野茂氏はリリーフで1回2/3を投げて無失点だった。1990年には日米野球に出場し、レニー・ダイクストラ、ケン・グリフィーJr.、バリー・ボンズといった打者を驚かせた。ロバート・ホワイティング氏の著書『The Samurai Way of Baseball』には、ランディ・ジョンソンがその時、野茂氏に対して「君はMLBにいるべきだ」と声をかけたと記されている。
当時はポスティングシステムがなく、メジャー移籍には困難が伴った。代理人の団野村氏、アーン・テレム氏、ジーン・アフターマン氏らが移籍に際して尽力。任意引退というルールの“抜け道”を見つけたが、これは批判も集めた。野茂氏の父親は口を聞かなくなるほど怒ったという話もある。
当時のドジャースのGM、フレッド・クレア氏は「彼は日本での名声を危険に晒すことをいとわなかった。成功するかどうか分からずとも、彼は自分自身を信じた。だからこそ、ヒデオは真のパイオニアなんだ。彼は自分の能力に自信があり、恐れを持たなかった」と評している。
多くの注目と重圧の中、メジャー初年度からオールスターに選出され、13勝6敗、防御率2.54、ナ・リーグトップとなる236奪三振で地区優勝に貢献。新人王に輝いた。1996年9月17日(同18日)には打者天国で知られるクアーズ・フィールドでノーヒットノーランを達成。しかしその後は怪我に苦しみ成績は下降線に。様々な球団を渡り歩き、2001年にレッドソックスで自身2度目のノーヒットノーランを達成した。
2014年に日本の野球殿堂入りを果たしたが、米国の野球殿堂では同年に得票率1.1%と基準に到達せず、候補者リストから消えた。しかし「もし米国野球殿堂が、球史に甚大な影響をもたらした先駆者のために門戸を広げることがあれば、ノモは当然の選択になるだろう」と称えられており、残した功績が色あせることはない。
(Full-Count編集部)