メジャー通算4発→本塁打王に NPBで無双した“赤鬼”が語る日本野球のレベル

ヤクルト・近鉄で活躍したチャーリー・マニエル氏【写真:Getty Images】
ヤクルト・近鉄で活躍したチャーリー・マニエル氏【写真:Getty Images】

マニエル氏が回顧したNPB時代「投手は制球力があって、いい選手が揃っていた」

 世界一競争が激しいとされるメジャーリーグで低迷した選手が、日本で“助っ人”として才能を開花させるサクセスストーリー。その好例として挙がるのが、ヤクルトと近鉄でプレーし“赤鬼”の相性で親しまれたチャーリー・マニエル氏だろう。日本プロ野球で通算打率.303、189本塁打を記録、対戦投手を震え上がらせたマニエル氏は当時、日本野球のレベルについてどんな印象を抱いていたのだろうか。

 メジャー通算252本塁打のブレット・ブーン氏のポッドキャスト番組に出演したマニエル氏は、まず6年間プレーしたメジャー時代を回顧した。1969年にツインズでメジャーデビューすると同年、試合中の走塁で足首を骨折する不運に遭い、その後もベンチ要員としての日々が続いた。通算242試合出場で打率.198、4本塁打と結果を残せず、1976年からの日本行きを決断したとしている。

 マニエル氏にとってキャリアの転機となった日本移籍。異国での生活についてブーン氏が質問すると、当時はNPBに在籍する外国人選手の数が少なかったため(各球団2人まで)、対戦相手の助っ人選手に話しかける機会が度々あったという。その中でよく話題になったのがMLBとNPBの比較だといい「プレーに(3Aより)安定感があった。米国の選手のほうが守備範囲が広く、スピードもあり、俊敏性も上だったが、投手は制球力があって、いい選手が揃っていた」としている。

 1990年代中盤からは毎年のように日本人選手がMLBに挑戦し、米メディアではしばしばNPBを“4A”、つまり“3A以上メジャーリーグ未満”と解釈している。実際に日本の野球を肌で感じたマニエル氏も「メジャー程のレベルではないが、3Aより上だった」とするなど“都市伝説”に同調する考えのようだ。

 野球スタイルへの興味、キャリアの再生、契約内容など、MLB出身の選手が日本へプレーする機会を求める理由は様々だ。しかし1つ言えるのは、助っ人として結果を残せるかどうかは“メジャーでの実績”ではなく“適応力”が大きく影響するということだろう。マニエル氏はまさに後者を体現し、残した功績は今も色褪せない。

(Full-Count編集部)

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