野村克也氏に「クビにしないで」 元燕助っ人が語る感謝「日本で人生変わった」
元ヤクルト・ハドラー氏は1993年の日本一に貢献「また日本に戻りたいよ」
元ヤクルトのレックス・ハドラー氏が25日(日本時間26日)、日本球界復帰への熱い思いを語った。“ミミズ喰い”など強烈なインパクトを残した元助っ人は1993年のリーグ優勝、日本一に貢献。わずか1年限りで退団となったが、来日の経験はかけがえのないものとなったようだ。「日本に行って人生が変わった。そのおかげで5年間またMLBでプレーできた。前よりいい選手になれたから」と感謝の言葉を口にした。
1993年に野村克也監督のもとで打率.300、14本塁打、64打点をマーク。多彩な変化球で攻めてくる日本人投手との対戦は、翌1994年から5年間のメジャー生活で大いに役立ったという。エンゼルス時代の1996年には打率.311をマーク。「シュートとか、いろんな球の打ち方を学んだから。アメリカに戻ってきてからの方が活躍できた。メジャーで13年間できたのは日本での経験のおかげ」と語った。
インパクトを受けた日本人投手も多いという。「ジャイアンツのサイトウ(斎藤雅樹)だね。あとはライオンズの投手。カク(郭泰源)、ワタナベ(渡辺久信)、クドウ(工藤公康)。その全員だ。日本シリーズでは全く打てなかった。あんな見事な投球をされたのは初めてだった。ノーチャンスだったよ」と振り返った。それでも、日本一は最高の思い出だ。「優勝後のパーティやパレードは最高だった。また日本に戻りたいよ。日本で監督がしたい。フルタ(古田敦也)が監督なら、私をコーチの1人として迎え入れてくれるかもね」と思いを馳せた。
現在は「バリースポーツ・カンザスシティ」でロイヤルズの解説者を務めている。「日本での思い出はとても鮮やかだ。戻れないって言われた時は泣いたよ。ノムラ(野村克也)とはウマがあった。大好きだったし、尊敬していた。シーズン序盤に私をクビにしたがっていたが、『お願いです、クビにしないで。チームの力になりますから』って感じだった。本当に楽しかった。日本での1年間のネタだけで本を書けるよ。良くない思い出は1つもない」。1年の来日経験は忘れられない思い出となっている。
(小谷真弥 / Masaya Kotani)