親元離れてプロの道へ 「涙が出てしまう」…小さな寮部屋で見つけた母からの手紙
1979年1月にドラ2ルーキー森脇浩司氏は合宿所に…布団袋に母からの手紙が入っていた
何かあれば母からの手紙を読み返した。元オリックス監督で野球評論家の森脇浩司氏は1979年シーズンに近鉄でプロ野球人生をスタートさせたが、決して順風満帆ではなかった。1年目、2年目は1軍出場なし。3年目に頭角を現したが、そこからは怪我との闘いも加わった。トレードも2回経験した。苦しい時も多かった。でも、へこたれなかった。「母の言葉はずっと頭の中にありました」。それは大きな支えだった。
1979年1月、藤井寺市の近鉄合宿所での生活が始まった。ドラフト2位で入団したルーキー内野手。入寮の日は父・勝さんが運転する車で、母・かめのさんも一緒に来てくれたという。「普通の小さい部屋ですけど、ベッドはありました。その時、私が持って行ったのは親が用意してくれた布団袋に入っていた布団とラジカセだったと思います」。そんな荷物を部屋に入れて、両親とともに寮長に挨拶した。
「それを終えると親父とおふくろは帰っていきました。高校の時も寮でしたから、もう親元からは離れていたんですけど、いよいよ、これから社会人なんだなとか、実家から遠くになるなとかを含めて、やっぱりちょっと一抹の寂しさみたいなのを感じたりはしましたね」。部屋に戻ってベッドに布団を敷いた。その時、布団袋の中に手紙が入っていたことに気付いたという。
「母からでした。何が書いてあるかわからないけど、今すぐに読んだら、涙が出てしまうなって思って、夜、寝る前に読もうと思って、その時はそのままにしたのを覚えていますね。手紙には“先輩というのは、ひとつ上の先輩でも、もっと上の方でも自分よりも必ず人生経験が豊富なので、まずは人の話を聞くことが大切”とか、当たり前のことで先生でも言うし、誰でも言うようなことですけど、改めてそんなふうなことが書いてありました」
かめのさんからの手紙は月1回のペースで届いたそうで、森脇氏は、そのすべてを大事にとってあるという。「偉そうに書いてあるのではなく『人生、苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。お母さんはそれを信じて、これからも生きていくよ。いろんなことがあるけど、頑張りなさいよ』みたいな、そんな感じの書き方なんですけどね。教訓というか、教えというか、私はそういうふうに受け止めていました。何かの時に読み返すというのは習慣にありましたね」。