「ごめんって顔をしている」 “内角攻め”で生きた右腕が指摘する現代野球の物足りなさ

元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】
元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】

鹿島忠氏は2015年から母校・鹿児島実を指導する

 感動がよみがえった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は2015年4月から母校・鹿児島実の臨時コーチを務めている。甲子園を夏3度(2015、2018、2022年)、春1度(2016年)経験するなど、指導者としても力を発揮。今後もさらなる強化を目指している。自身も高校2年夏と3年夏に甲子園出場。プロでも何度も訪れた球場だが「高校生の子どもたちを連れて行って中に入ると全然違う」と実感を込める。

 母校の臨時コーチは、鹿児島実・宮下正一監督に頼まれて始まった。「俺は前から中部地区の鹿児島実の同窓会の会長をやっていて、学校の卒業式とか入学式になると、各地方の会長が呼ばれるので、行くこともあったんだけど、ある時、宮下監督から急に電話がかかってきた。『近々、名古屋に行くので、会って直接話がしたいんですが』ってね。わざわざ名古屋まで来てくれて『手伝ってくれませんか』と言われて、そこから月1ペースで行くようになった」。

 足を運べば、1週間から10日間くらいは鹿児島に滞在する。大会期間中はさらに長くなるそうだ。高校生に指導する日々は充実しているそうで「本当はもっとじっくり教えたいくらい。朝から晩までね。今は(名古屋での)生活もあるので無理だけど、いつか、悠々自適でそういうことができればねぇ」と話す。今はとにかく、後輩たちの成長が楽しみで仕方ない様子だ。

 2022年夏の甲子園では、鹿実のユニホームを着用して試合前に外野ノックを行った。「去年はコロナで規制が厳しくて、最初に登録した人以外は球場への出入りなども制限された。俺は外部コーチだけど、宿舎に入るから登録されていた。もう1人のコーチが体調を崩してしまって、監督と俺だけしかいない。それで監督がメーンのノックをやって、俺が外野ノック。マスクをつけてなるべく分からないようにやったんだけどね。まぁ、いい思い出になったね」。

内角攻めの指導は封印「今の選手はそこまでやっていない」

 鹿実のほかにも、名古屋のクラブチーム「矢場とんブースターズ」の外部臨時コーチを務め、名古屋学院大学や至学館大学など、いくつかの大学で指導することもあるそうだ。相手はアマチュアだから、自身の現役時代の支えになった厳しい内角攻めを教えることはないが、プロ野球でも、そうした配球が少なくなってきている。

「今の選手はそこまでやっていないよ。厳しく内角に行ってもたまたま。狙って投げていない。基本的には(ストライクゾーンの)枠の中でちょっと出し入れをするだけ。打者の目線を変えようとか、タイミングをずらそうとか、ステップを甘くさせようとか、そうした発想がない。枠の中でどうストライクを見せられるのか。どれくらい曲げたら空振りするとか、打ち損じするとか、そっちだけだよね」

 さらに「今はみんなつながっている。みんなアスリートだからね。みんなで野球のレベルを上げましょうって、敵だろうが、味方だろうが、一緒に練習して、うまくなるために、お互い情報交換しましょうってやっている。内角に投げて『ウワー、ビビった。ごめん』って顔をしている段階で、昔とは違うと思うよ」と力を込める。決して昔が正しいと言っているのではない。それだけ時代が変わったと感じ取っている。

 鹿島氏は1982年ドラフト1位で鹿児島鉄道管理局から中日入り。先発で期待されたが、星野仙一氏が監督に就任した1987年に先発を外れ、リリーフで生きることになった。飛び抜けたボールは持っていなかったが、フォームを改造し、内角攻めの強気の投球で中継ぎの中心に。1988年のリーグ優勝にも大きく貢献した。

 61歳になったが、まだまだ若々しい。7月に入り、夏の高校野球、鹿児島大会も始まった。「どういうふうに仕上げるか」と鹿実の臨時コーチは目を輝かせた。「この年になっても野球に携われるのはとても幸せ」。かつての中日の背番号18は、野球界で今も戦っている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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