「壊れてもいい」 ヤ軍ファンの語り草になった“男気”…黒田博樹氏の記憶に残る試合
メジャー7年のキャリアで「思い浮かんだのは3試合ですね」
日米通算533試合に登板した黒田博樹氏は、ドジャースとヤンキースで過ごした7年で212試合に先発した。「あまり過去の試合は覚えていない」というものの、鮮明な記憶として残る3試合があるという。20年のプロ生活を送った黒田氏の米国期にスポットを当てた連載(全5回)の第4回は「記憶に残る試合」について。
ありきたりではあるが、「メジャーで強く印象に残っている打者との対決、試合はありますか」と聞いてみた。黒田氏はレギュラーシーズンだけで212試合、プレーオフでも5試合に投げている。球場であれ、テレビ中継であれ、その雄姿を目にした人はそれぞれに記憶に残る試合があるのではないだろうか。
メジャーデビュー戦で初勝利を飾った2008年4月4日の敵地・パドレス戦。乱闘寸前となる闘志むき出しの対決となった同年10月12日リーグ優勝決定シリーズ第3戦のフィリーズ戦――。インパクトの強い登板や対決がいくつもある中で、黒田氏にとって思い入れのある試合はどれなのか。
「今聞かれて思い浮かんだのは3試合ですね」
そう言って、まず1つ目に挙げたのが、2013年7月31日の敵地・ドジャース戦だ。ヤンキース移籍後初となるドジャースタジアム凱旋登板で、“弟分”クレイトン・カーショーと白熱した投手戦を演じた。
黒田氏がドジャースに移籍した2008年。キャッチボールの相手を務めたのが、当時20歳の新人左腕カーショーだった。13歳離れた2人に共通したのが、野球に対する真摯な取り組みだ。黒田氏が「凄い投手になる」と目をかければ、カーショーはFAになった黒田氏にドジャース残留を直訴。互いに認め合う2人の投げ合いは見応え十分の投手戦となった。
実は本来のローテーション通りであれば、先発日は重ならなかった。だが、試合3日前にカーショーの登板が前倒しされることに。「まさか対峙するとは思っていなかったので、非常にやりづらいなって思っていました(苦笑)。カーショーの登板がずれて投げ合うことになるなんて、こういうことってあるんかなって」。運命のいたずらか、見えざる力が働いたのか。「あれは不思議な感覚でしたね」と懐かしそうに笑う。
防御率でア・リーグ2位(2.38)の黒田氏と、ナ・リーグ1位(1.87)のカーショー。メジャーを代表する好投手の対決は互いに一歩も譲らず、スコアボードに「0」を並べた。「お互いにいいピッチングしたんですよね。彼が1イニング多かったんですけど(笑)」。黒田氏は7回を5安打1四球8奪三振無失点、カーショーは8回を5安打5奪三振無失点。ヤンキースが9回に3点を挙げて勝利したが、2人の間で決着はつかず。5万人超の観客が目撃した名勝負となった。
球団データアナリストも心奪われた…故障リスクを顧みない熱投
2つ目は2012年10月14日に行われたア・リーグ優勝決定シリーズ第2戦、本拠地ヤンキースタジアムが舞台となったタイガース戦だ。この年、ア・リーグ東地区を制したヤンキースは、地区シリーズでオリオールズと対戦。第3戦に先発した黒田氏は8回1/3を5安打2失点の快投で、シリーズ突破に貢献した。
その4日後に先発したのが、このタイガース戦だ。通常より休養が短い中3日でマウンドに上がると、この年に3冠王となったミゲル・カブレラやプリンス・フィルダーらを擁する重量打線と対峙。5回終了まで1人も走者を出さず、7回2/3を5安打11奪三振3失点と力投したが、打線の援護に恵まれず。敗れはしたものの、全身全霊をかけた熱投はファンの間で語り草となった。
黒田氏はジョー・ジラルディ監督と交わした当時のやりとりを、今でもはっきり覚えている。
「オリオールズ戦の後、次は中3日でタイガースとの第2戦になると言われた時、ジラルディから何度も監督室に呼ばれて『本当に大丈夫か? 中3日でいけるか?』って聞かれたんですよ。僕はそのたびに『いつ終わってもおかしくない年齢だし、今回投げて壊れてもいいからいかせてくれ』って言って。そんなやりとりがあったから、僕にはなかなか思い入れのある試合だったんです。
カブレラやフィルダーがいる、かなり手強い打線を相手に結構多く三振を取れて、8回途中までいいピッチングができた。その中でも印象に残っているのが、7回か8回にピンチを迎えた時、ジラルディがマウンドまで来て僕の胸を叩いて帰っていったんですよ。あの監督はそういうことをするタイプではなかったので、すごく印象に残っていて」
通常、メジャーでは監督がマウンドに来たら投手交代を意味することが多い。現役時代は捕手だったジラルディ元監督は、どちらかと言えばドライでビジネスライク。試合中に激高することはあっても、決して情に厚い浪花節タイプではなかった。だからこそ、ピンチの場面で「ここが勝負だ、気持ちを強く持て」とばかりに胸を叩かれたことが、黒田氏には意外だったのだろう。チームのために故障のリスクを顧みず、実直に腕を振り続ける姿が、監督の心に響き、ファンの心を奪ったことを示す好例となった。
今年4月19日、黒田氏は始球式を行うため9年ぶりにヤンキースタジアムを訪れた。伝統のピンストライプを身にまとい、懐かしい球場の雰囲気を味わっていると、チームのデータアナリストに声を掛けられたという。数え切れないほどのヤンキース戦を見尽くし、あらゆる角度から分析した“生き字引”のような人物だ。
「もちろんお世辞かもしれませんが、その彼が見たすべてのヤンキース戦の中で、あのタイガース戦が一番好きだって言ってくれたんですよ。僕はそれがすごく嬉しくて。自分で野球をやっていたわけではなく分析専門だけど、その日は僕が球場に来ると分かっていたから、朝からあの試合を見直してきたんだって言ってくれて、それがすごく嬉しくて」
自分にとって思い入れの強い試合が、他の誰かにとっても特別な試合になっていた――。黒田氏は心底嬉しそうに目を細め、喜んだ。
野球の厳しさと魅力を体感したヤンキースでの最終登板
そして3つ目は、2014年9月25日の本拠地オリオールズ戦。この一戦は黒田氏にとってメジャー最後の登板となり、“キャプテン”デレク・ジーターにとっては地元ファンに別れを告げる“引退試合”だった。球場は生え抜きスーパースターの最後を見ようという超満員のファンで埋め尽くされ、試合前から普段とは違う高揚感に包まれていた。その中で先発した黒田氏は初回、いきなり先頭打者から2者連続でホームランを打たれた。
「もう大ブーイングでしたよ(苦笑)」
直後に味方が2点を返して同点に追いつくと、2回に失策で走者を出したものの、3回以降は3者凡退の山を築いた。ヤンキースが7回に3点を勝ち越し、黒田氏は8回3安打9奪三振2失点で勝利投手の権利を持って降板。誰もが勝利を信じて疑わなかったが、9回に守護神デビッド・ロバートソンが2被弾し、試合は5-5の同点となった。
「ロバートソンで3点差を追いつかれたんですよ。『まぁ野球ってこんなもんだな』って思いましたね。僕は結局、メジャー通算79勝79敗。あのまま勝っていれば勝ち星が一つ上回ったけど、そう簡単にはいかない。野球はこういうもんだなって」
8回を投げ終えて95球。シーズン最終登板だったこと、目標とする投球回200イニングまで残り1イニングだったことを考えると、黒田氏が直訴すれば9回続投の可能性はあったかもしれない。だが、降板後に待っていたのは、まさかの展開。試合の中には自分でコントロールできることもあれば、できないこともある。最後に野球の難しさを身を持って感じることになった。
だが、27個目のアウトを取るまで試合は終わりじゃない、とはよく言ったもの。ヤンキースの攻撃となった9回裏、さらに大きな“まさか”が起きた。ヒットと送りバントで1死二塁となった場面。ここで打席に立ったのが、ジーターだった。総立ちのファンに応えるように初球を振り抜くと、打球は一、二塁間を破ってライトへ抜けるサヨナラヒットとなった。
「最後にジーターですよ。あれも同点にされたから最後のヒットが生まれたわけで。そういう意味では、野球って筋書きがないとは言いながらも、実はあるんじゃないかと思う雰囲気になりましたね」
事実は小説よりも奇なりというが、黒田氏の心に残る3試合はいずれもドラマ以上にドラマチックな展開だった。
(佐藤直子 / Naoko Sato)