大歓声の中でなぜか通った「声」 甲子園史に残るビッグプレー…二塁手にあった“予感”

明豊時代に甲子園で三重殺を完成させた深田健成さん【写真:本人提供】
明豊時代に甲子園で三重殺を完成させた深田健成さん【写真:本人提供】

「城東ボーイズ」の深田監督は明豊の二塁手として甲子園で三重殺完成に貢献した

 中学硬式野球の「城東ボーイズ」(東京・江東区)で監督を務める深田健成さんは、大分・明豊時代、二塁手として出場した甲子園で、数少ないビッグプレーを演じた立役者の一人だ。

 2011年8月15日、3回戦の関西(岡山)戦だった。6点ビハインドの6回、無死一、二塁のピンチを背負った。ここで関西の4番打者の打球は、三塁線への力ないゴロ。三塁手は、捕球と同時に三塁ベースを踏み1アウト。そして二塁手の深田さんへと送球し2アウト。深田さんも間髪入れずに一塁へ転送し、大会史上7度目のトリプルプレーを完成させた。

 試合には敗れ、深田さんら3年生の高校野球は幕を閉じたが、試合後はやりきったという充実感でいっぱいだった。実はこのビッグプレー、深田さんは「やるような予感があった」という。

「ピッチャーが投げる前に、三塁手に『トリプルプレーがあるけん、用意しとけよ』と言ったんです。甲子園って大歓声で、声なんか普通は通らないんですけど、三塁手もなんとなく予感していたみたいで、自分の声がけが聞こえたと言っていました。そうしたらその通りのプレーになって……。不思議ですよね」

 3年間、鍛錬を重ね、同じ釜の飯を食べてきた同士だからこそできた意思の疎通。甲子園の女神がくれた、粋なご褒美だった。

城東ボーイズで監督を務める深田健成さん【写真:編集部】
城東ボーイズで監督を務める深田健成さん【写真:編集部】

東京国際大4年時に主将…約200人の部員をまとめ上げた

 深田さんはその後、進学した東京国際大で遊撃手として活躍。4年時には主将として200人近い部員をまとめ上げた。卒業後は精密機械のルート営業をしながら軟式野球部でプレー。いつかは指導者になりたいという夢を持っていたという。

「野球でいい経験をたくさんさせてもらったので、それを子どもたちに伝えられたらいいな、と思っていました」

 そして2019年、スポーツスクールなどを手がける株式会社GXAへ転職し、野球教室で小学生らを指導する傍ら、同社が運営する城東ボーイズのコーチに就任。今年4月に監督の任に就いた。29歳の青年監督は、選手たちの良き兄貴分として、時には打撃投手も務めるなど一緒になって汗をかいている。

「城東ボーイズは学習塾も併設していて、いい環境で野球と学習が行える中で、僕の信念としては、野球だけの人間は作りたくない。ミーティングでも『人として』ということを常に言っています。野球が上手くなるには、人間的な成長がないといけない、ということをいち早く浸透させていきたいと思っています」

 人として成長することが、社会人として世に出た時の大きな基盤となる。そんな選手を一人でも多く育てるために――。深田さんの野球界への恩返しはまだ始まったばかりだ。

(内田勝治 / Katsuharu Uchida)

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