タレントの妻は「講演できるのでは」 息子3人は元球児…燕の新人王が語る野球と家族

ヤクルト、広島で活躍した野球評論家・笘篠賢治氏【写真:荒川祐史】
ヤクルト、広島で活躍した野球評論家・笘篠賢治氏【写真:荒川祐史】

笘篠賢治氏が語る…3人の息子は野球を自然と選んだ

 1989年にセ・リーグ新人王に輝くなど俊足好守のスイッチヒッターとしてヤクルト、広島でプレーした解説者の笘篠賢治氏は、上宮(大阪)2年で1983年選抜大会に出場した。3人の息子も球児だった。「お兄ちゃん2人は硬式、一番年下は軟式でした」。父親の視点から見た高校野球について話を聞いた。

 笘篠氏の妻はタレントの松本典子さんで、結婚する前から野球が大好き。「国体の試合にも見に行ったことがあるそうです。プロより高校野球の方が好きで、今もすごく詳しいです」。

 3人とも野球を自然と選んだという。「団体生活や規律もあるので、スポーツをしてくれたらいいねとは女房と話をしていました。うれしかったですけど、笘篠は珍しい苗字。お父さんがプロ野球選手と常に言われるだろうし、何も同じ競技でなくてもと心配もありました。でも子どもたちの意見は『楽しいからやっている』と。楽しいならいい事だと思いました」。

 長男・諒太さんは強豪の東亜学園で甲子園にはあと少し届かなかったものの、西東京大会ベスト8。1番打者で活躍した。「東亜は厳しかったですけど、監督さんが子どもの変化をよく見て下さった。最初はひょろひょろでしたが、長期的な目で、体ができあがっていくのに合わせた指導をされていました。おかげで最後の3年生でレギュラーをつかんだのです」。

 次男・将志さんは大東大一高(東京)。ベンチ入りこそならなかったが、努力を惜しまずやり抜いた。「頑張っているところを見てくれているコーチの方がいました。息子が学校の全体練習が終えて帰宅するのですが、コーチの家が近かった。そこでネットを張ってティー打撃をしたり。最後まで一生懸命、練習に付き合ってもらえた。子どもに『感謝しないといけないよね』と話をしました」。

 三男・友哉さんは城西大城西で、軟式を選択した。「中学校は都大会に出るぐらい強かったんです。だけど、『ガチガチでやる野球はあまり楽しくないから軟式をやりたい』と。やりたい事をやればええんやから、そう伝えました」。2年生の夏に東京大会で優勝し、“軟式の甲子園”明石トーカロ球場で行われた全国選手権に進出。当時は新型コロナの影響で応援も大変だったが、笘篠氏も観戦した。新チームでは秋の都大会優勝、春はベスト8。夏は決勝で敗れたが、レギュラーとして活躍した。

妻でタレントの松本典子さんに推奨「野球一家を支えた経験を講演しみては(笑)」

 笘篠氏は上宮で甲子園、中大でソウル五輪銀メダル、そしてプロと超ハイレベルな道を歩んできた。「僕はそういう厳しい野球しか経験がなかった。軟式の難しさ、待遇面とかで、硬式となんでこんなに違うのだろうと考えさせられました。東京都の決勝は稲城球場だったんですが、決勝ぐらいは神宮でもいいのでは。もうちょっと軟式にも目を向けてあげても。同じ野球ですから」。

 同時に軟式ならではの良さも体感した。「稲城では、監督さんとか連盟の方がお父さんお母さんたちをグラウンドに入れて記念撮影をさせてくれたのです。こんなん硬式では、ありえへんなと。お兄ちゃんたちの頃は僕もコーチあがりで戦術とか気になっていたのですが、最後の三男坊の時は純粋に野球を楽しませてもらえました」。

 今夏も球児をサポートする保護者がいる。笘篠氏は「子どもの夢といっしょに親も同じ夢を見ながら応援できる。大変でしょうが、子どものためにしてあげられるというのは、その後に子どもが大きく育っていった時、幸せだったと必ず感じられます。必ず。子どもは子どもで努力して友達と仲良く、いい仲間をつくればいい。親御さんも一生懸命に応援してあげれば、それでいいと思います」と言葉を贈る。

 夫が元プロ野球選手。息子3人もそれぞれの高校野球に真摯に向き合った。笘篠氏は奥さまに勧めている事があると笑う。「野球でこれだけいろいろな事を経験している家族は、そうはないと思います。僕より、それを支えてきた女房の方が全国各地へ講演に行けるんじゃないでしょうか」。確かに聞いてみたい。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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