電車通勤…駅番号で覚えた“タナシ” 元西武ニールが願う再来日「必要なら投げるよ」
アスレチックスでプレーする元西武ニール「いつかまた日本でプレー出来たら」
メジャーへ戻っても日本の思いは忘れない。アスレチックスでプレーする元西武のザック・ニール投手は今でもX(旧ツイッター)にカタカナで名前を記している。「いつかまた日本でプレー出来たらと思っている。そうなったら……僕は戻りたいんだ。それが僕の目標のようなものだ」。再びNPBへ――。思いを熱く語った。
本拠地で行われたエンゼルス戦の開始前、ウオーミングアップの時間を割いて取材に応じてくれた。記者が学生時代に西武新宿線沿いに住んでいたことを伝えると、「タナシ駅って(駅番号)17番だったよね?」。調べると確かに17番。学生時代には西武の助っ人を電車で何度か見かけたことがあったが、駅名を駅番号で覚えていたのかと妙に納得してしまった。「電車も車も使ったよ」。ニールは懐かしそうに話す。
2018年のオフ、当時30歳だったニールは来日を決断した。2010年にドラフト17巡目(全体527位)でマーリンズと契約してから8年間でメジャーでは31登板のみ。マイナーを行き来し、先発も中継ぎも経験した。「とてもいい先発投手になれると思っていたけどね。日本では全登板で先発できて、ハイレベルなピッチングができた。それは自分がずっとしたかったことだ」と振り返る。
来日1年目の2019年は球団の外国人投手としては最長の11連勝を飾るなど、12勝1敗、防御率2.87という好結果を残した。しかし、翌年以降は好結果を出せず。2021年オフに退団し、再びアメリカに戻った。
「僕は日本に残る方向でいた。こっちに戻りたくなかったというわけではないが、日本に残っても、自分としてはよかったんだ。ただ、(日本のチームから)関心が寄せられなかった」
帰国時は「自分がけっこう日本人になっている気がしたよ」
NPB在籍は3年間で、2020年以降は新型コロナウイルスの影響もあったが、日本での生活はすぐに慣れたと振り返る。「変化を受け入れなければならないと分かった上で、そしてアメリカ流の野球をやるのではないと自覚した上で、日本に行ったからね。日本語と日本の文化について、できるだけ早く学習しようとした。離れる時は、自分がけっこう日本人になっている気がしたよ」。
中でもキアナ夫人はニール本人以上に日本での生活を楽しんでいた。遠征にも帯同し、キアナ夫人は一人で京都旅行に行くこともあった。「日本は安全だからね。僕はキョウトには行けずじまいだった」と少し残念そうだ。
2人で東京観光するのがオフの日の楽しみだった。「トウキョウのスケールの大きさ。実際に行かないと、本当の意味ではその説明ができないね。ロッポンギとかシブヤとかシンジュクとか……。2人とも、とても(東京の色々なエリアが)好きだった」。寿司や親子丼が大好物だったという。
チームメートの支えもあった。最も面倒を見てくれたのは高橋光成投手。昨年オフ、テキサス州にあるニールの自宅にトレーニングのためにやって来た。「彼は僕の相棒なんだ」。昨オフにメジャー挑戦を球団に直訴し、今季は長髪でプレーしている。「(あの長髪は)最高だよね」と笑った。
西武は今季低迷「投手が必要ならいつでも僕が投げるよ」
昨季ロッキーズとマイナー契約。1年間3Aで過ごし、今季5年ぶりのメジャー登板を果たした。5月に一度、メジャー出場前提となる40人枠を外れる事実上の戦力外の措置(DFA)になったが復活。ここまで9登板で1勝0敗、防御率6.55の成績を残している。
今でも日本で学んだことは生きている。「日本ではカットボールを投げ始めた。それがこっちで役に立ってる。日本ではカーブを少し増やした。日本は……どうだろうな、自分をさらにいい投手にしてくれた気がする」
ニールの加入1年目の2019年、西武はリーグ優勝を成し遂げたが、退団して2年。今季は低迷している。「そんな話は聞きたくなかったよ」と悲しい顔を見せつつ、「パ・リーグは毎年とても難しい。チームが変わるのがとても早い」と苦しむ古巣を慮る。「投手が必要ならいつでも僕が投げるよ」。その言葉に嘘はなさそうだ。
著者プロフィール
○川村虎大(かわむら・こだい)1998年2月、茨城・土浦市出身。土浦一高から早大に進学。早大では軟式庭球部に所属するかたわら、ソフトテニス専門誌に寄稿。2021年からFull-Countに所属し、2023年は第5回WBCを取材。その後、エンゼルスを中心にMLBを取材している。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)