元「早大三羽烏」の“第2の人生” 西武20歳は急成長…若手に伝える苦い経験
斎藤佑樹、福井優也とともにそろってドラフト1位でプロ入りした
西武の大石達也ファーム投手コーチが、若手中心の秋季教育リーグ「第20回みやざき・フェニックスリーグ」に帯同している。早大4年時の2010年ドラフト会議では、同級生の斎藤佑樹(日本ハム入団)、福井優也(広島入団)とともにそろって1位指名を受け“早大三羽烏”と呼ばれた。右肩痛に悩まされ、3人の中では一番早く2019年限りで現役引退。2021年から現職に就き、指導者として3年目を終えようとしている。
11日に宮崎県日南市の南郷スタジアムで行われた同リーグの巨人戦。大石コーチは、113球をかけて9回1失点完投勝利を挙げた渡邉勇太朗投手を穏やかな笑顔で出迎え、グータッチをかわした。
「コーチとして3シーズン目が終わりました。選手の時の方が楽だったな、と思います。責任もありますし、感覚的なことを選手に伝えるのは難しいです」と苦笑する。確かに技術指導で感覚的なことを言葉にするのは、誰がやっても非常に難しい。互いが同じことを考えていたとしても、言葉にすると全く違うものになることもある。大石コーチは「丁寧に問いかけて、本人の感覚を聞き出しながら寄り添うことを心がけています」と、実直に選手と向き合っている。
コーチとしてやりがいを感じるのは、「やはり選手が1軍に上がって活躍した時ですね」。たとえば、20歳の今年7月に育成から支配下登録を勝ち取り、いきなり1軍で16試合に登板して防御率0.59をマークした豆田泰志投手だ。
「豆田はもともとストレートが特長的で、トラックマンで計測すると縦の変化量が大きい。NPBの右のオーバースローの平均は40~45センチですが、豆田は50センチ台後半から60センチを計測する。伸びがあるというか、垂れないイメージです。しかし制球が悪く、せっかくの縦変化量を扱えていなかった」。そこで、オリックスの山本由伸投手に似たクイック投法に変えると、制球が安定。若手が急成長を遂げる場に立ち合った大石コーチは、「(フォーム改造前は)上下左右にいろいろなブレが出ていましたが、左右に関してはだいぶなくなりました」と説明する。
右肩痛に悩まされた現役時代「結果的によかったのかな」と思える理由
大石コーチ自身は現役時代、右肩痛など故障に悩まされ続けた。3年目の2013年には自己最多の37試合に登板し8セーブ。2016年には36試合で防御率1.71、翌年には20試合で防御率0.93をマークし、リリーバーとして才能を発揮したが、現役生活は9年間で幕を閉じた。今では「自分がいろいろなリハビリを試してきたので、『こういうやり方もあるよ』と選手に伝えることができる。結果的によかったのかな、と思うこともあります」と前向きに受け止めている。
早大三羽烏は、2021年限りで現役引退した斎藤氏が「株式会社斎藤佑樹」を設立し、代表取締役に就任。福井は昨年限りで楽天から戦力外通告を受けるも、今年はBCリーグの福島レッドホープスで現役を続行し、17試合10勝5敗、リーグ2位の防御率2.28の好成績を残し、猛暑の8月のデーゲームで、ノーヒットノーランを達成した試合もあった。
「シーズンオフには連絡を取って、ご飯を食べにいきます。3人の時もあれば、2人の時も、他の同級生が一緒の時もありますよ」と大石コーチ。早大のユニホームを着て切磋琢磨し、そろってドラフト1位の鳴り物入りでプロ入りした3人だが、それぞれ全く違った道へ歩み始めたことを実感していると言う。
そんな大石コーチに、理想の将来像を聞くと、「できるだけ早く隠居したいですね。妻の出身地でもある沖縄あたりで。理想は50歳を少し超えたくらいから。いかにそれまでにお金を貯められるか」と茶目っ気たっぷりに笑った。いやいや、選手の気持ちに寄り添うことができる大石コーチは、もしかすると還暦を超えてもオファーが引きも切らないくらい、名伯楽になっていくかもしれない。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)