特待生を辞退した「バカみたいな話」 プロ入りに導いたワガママ“アリスと愛知”

中日で活躍した野球評論家・彦野利勝氏【写真:山口真司】
中日で活躍した野球評論家・彦野利勝氏【写真:山口真司】

彦野利勝氏の東港中は土曜日以外はまともな練習ができず…

 元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏は昔から「冬の稲妻」「チャンピオン」などで知られる「アリス」の大ファンだ。「ファンクラブにも入っていました」。実はこのことが野球人生にも少々、関わっていた。名古屋市立東港中では3年秋にエースとして市の大会で優勝。いくつかの高校から特待生での誘いがあった中、入学を熱望したのは、誘われていなかった私立愛知高。「いろんな学校の練習を見に行って、一番活気を感じたんです」。さらに「アリス」が思い浮かんだという。

 中日での現役時代、「1番・センター」で1988年のリーグ優勝にも貢献した彦野氏は、名古屋市港区の東築地小から東港中に進んだが、当初は野球部に入らなかった。「先輩が怖そうだったし、家が遠くてバス通学で1時間以上かかるのでね。でも小学校の時の野球部の仲間から誘われて、6月くらいに入ることにしたんです」。この時、入っていなければ、別の人生になっていたかもしれないが、その野球部の練習環境は厳しいものだった。

「マンモス校で生徒数が1000人以上もいて、校庭ではいろんな部活をやっていた。全国レベルの部活があって、野球部はキャッチボール2組しか投げられない細長いスペース。1対1のトスバッティングをたまにするのとノックがちょっとできるくらい。外野ノックはできないし、バッティングもできないんです」。近くのグラウンドが借りられる土曜日以外はまともな練習ができなかったという。

「部員でも練習に顔を出す人は少なかった。来ない人が多いから誰が先輩かわからなかった」。彦野氏も当時は野球だけではなくボウリングにもはまっていた。「小学校の頃からやっていて、10ゲーム投げてアベレージが180から200近かった。ボウリングのプロになろうと思ったこともあった」という。「9フレームまでストライクが続いて、お客さんが集まってきて、スゲー緊張してスプリット。僕の唯一のパーフェクトのチャンスだったんですけどね」と懐かしそうに話す。

 最終的には父親と相談してボウリングより野球を優先するわけだが「よく1人で行って投げ放題で16ゲーム投げたりしていた。僕の前腕が太いのはそのせいですよ。手首も強くなったんじゃないですか」。ボウリングがトレーニング代わりにもなっていたのかもしれないが、野球部の方は負けてばかりだった。「僕がピッチャーでしたが、ストライクが入らなくてねぇ。それで負けていた。球は速いんですけど、ノーコン。目一杯投げるしか能がなかったんでね」。

特待生の話も行きたいと思えず「友達といろんな高校を見学して回った」

 中3の秋にそれが変化した。「親と進路の話になって『野球がやりたい』と言ったら『だったら、本気でやれ、真面目にちゃんとやるのか』となって、そこからちょっと練習したんですよ。野球部の中にも高校で野球やりたいってヤツもいたので『じゃあ、ちゃんとやろう』ってね。狭いスペースでも基礎練習はしっかりやって……。僕も家に帰ってからもランニングしたり、素振りしたり。そしたらバランスがよくなってストライクが入るようになったんです」。

 ストライクが入れば、そんなに打たれない。「1-0とか2-1の試合ばかりだけど、秋の市の大会で優勝したんです。その時期、3年生が出ていない学校も多かったから半分インチキですけどね」と彦野氏は振り返ったが、これで注目を集めて、いくつかの高校から特待生で話があった。だが、どれも行きたいと思えず「ひとまず、友達といろんな高校を見学して回った」という。その時、目に留まったのが愛知高だった。

「僕の目にはすごくキラキラして見えたんです。よそより活気があった」。そして彦野氏はこう続けた。「白いユニホームに(アルファベットで)愛知と書いてあって、まぁ、これ、バカみたいな話ですけど、愛知のロゴの筆記体が僕がファンクラブにも入っていた“アリス”に似ていたんです。Aの書き方とかがね。これいいなと思ったんです。どういう学校とかは全く知らない。男子校(現在は共学)であることも知らなかったけど、見た感じで一番は愛知ってなったんです」。

 愛知高から誘いは来ていなかったが「愛知に行きたい」と訴えた。「それでお袋が中学の先生に言ってくれたんです。そうしたら愛知の先生と知り合いの人がいて、連絡してくれて、1回見てやるという話になったんですよ」。後日、愛知高の学校関係者が東港中まで来て、彦野氏をチェック。授業料免除の特待生での入学がOKになったという。「それが12月。もうギリギリもギリギリくらい。最後の枠で入れてもらったと思います」。

 彦野氏は学校の成績も悪くなく、もしも愛知高が駄目なら受験して県立の大府高を目指すつもりだったという。「野球が強い公立だったのでね。もしも大府に入っていたら(1学年上の)槙さん(槙原寛己氏=大府→巨人)の後輩になっていましたね」。これも人生の岐路。愛知のロゴが、谷村新司さん、堀内孝雄さん、矢沢透さんのアリスのロゴに似ていなければ、彦野氏の進路は違っていたかもしれない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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