「1%もない確率」誰もが驚いた廣岡大志の全力バックホーム 胸に刻む坂口智隆氏の言葉
初めて日本シリーズの舞台を経験したオリックスの廣岡大志
追い求め続けた“場所”にようやく辿り着いた。今季、巨人からトレードでオリックスに加入した廣岡大志内野手。3球団を渡り歩いた男はプロ8年目にして初の日本シリーズを経験し、ファンを沸かせた。なかでも、甲子園で行われた第4戦では泥臭く、最後まで“諦めの悪さ”を見せつけたプレーがあった。
阪神との日本シリーズはオリックスの2勝1敗で第4戦を迎えた。試合は3-3で9回に突入し、2死満塁からワゲスパックが4番・大山に左前打を浴びサヨナラ負け。劇的な勝利に甲子園の虎党は狂喜乱舞し、オリックスナインは淡々とベンチに戻っていく姿が印象的だった。
このワンプレーのなかで最後まで闘志を見せたのが、左翼を守っていた廣岡だった。三遊間を抜ける強烈な打球に猛チャージをかけ、本塁へ全力のバックホーム。まさかのダイレクト送球に捕手の森も驚きの表情を見せるほど。9回裏2死満塁、誰がどう見ても試合は決着していた。
「あの場面は(アウトにできることは)1%もない確率だと思います。でも、野球は何があるか分からない。もし打球が来たときは絶対に投げると決めていた。アウトにできるかどうかは分からない。ただ、どんな状況でも準備をしておくことは大事。そういう姿勢だけはなくさないように、常に心がけています」
ある意味、プロらしからぬ姿だったかもしれない。淡々と敗戦の事実を受け止め、次戦に向けて気持ちを切り替えグラウンドから引き上げる。だが、廣岡にとっては僅かな可能性がある限り、雑なプレーを見せることは認められない。
2021年シーズン直前にヤクルトから巨人にトレード、その後に古巣はリーグ連覇
悔しさを糧にグラウンドに立ち続けている。2015年のドラフト2位でヤクルトに入団。ルーキー時代の2016年には、高卒新人では1960年の高木守道以来、56ぶりの快挙となるプロ初打席初本塁打を記録した。だが、強打の遊撃手として期待されながらもレギュラー定着とはならず、2021年シーズン直前に巨人へトレードされた。
当時の心境を「凄い悔しかった」と振り返る。廣岡が抜けたヤクルトは2021、2022年とリーグ連覇を達成し日本一にも輝いた。巨人でも思うような結果を残せず、2023年シーズン途中に3球団目となるオリックスに辿り着いた。前年に日本一を達成しリーグ3連覇を目指すチーム。パ・リーグという新たな環境にも魅力を感じていた。
「オリックスに決まった時は連覇して日本一のチーム。(ポストシーズンへの)チャンスはすごいあると思っていた。その舞台に立てるチャンス。『絶対にそこに立つんや』と思っていた。何とかやってやろうという気持ち。その中で色々な経験ができたのは、そういう気持ちを持っていたからだと思います」
オリックスでは44試合に出場し打率.200、1本塁打9打点ながら得点圏打率.304と勝負強さを発揮。本職の内野だけでなく外野でも19試合に出場した。「中嶋監督には本当に感謝しかない。選択肢を与えてくれて、選手としての幅は広がった」。本格的に外野手に挑戦するのは初めてだったが、迷うことはなかった。
“兄貴”坂口智隆氏からの言葉「チャンスがあるならとことん奪いに行け」
ヤクルト時代に「兄貴」と慕った坂口智隆氏の影響も大きい。大怪我で一時はどん底を経験した男。ベテランになってからも常に全力プレーを見せ、通算1526安打を放った先輩から授かった言葉は今でも胸に残っている。
「打席でへらへらしたり、変な余裕は絶対に見せるな。どんなことでも全力、がむしゃら、泥臭さを忘れたら終わる。チャンスがあるなら、とことん奪いに行け。俺は常に見ているから」
今シーズンも坂口氏が仕事で関西に訪れた時には食事を共にし、何度も叱咤激励を受けたという。
「僕は器用じゃないので。不器用なりにというか、ぶつかっていくことしかできない。一番、お世話になった坂口さんの存在は大きい。泥臭くやる、最後の気持ちで。プロ野球じゃあんまりないですが、そこが一番大事と常々言われていた。これからもブレずにやっていく」
来季はリーグ4連覇、日本一奪回を狙うオリックス。広島からFA移籍で西川らが加わり選手層はさらに厚くなった。それでも、常勝軍団の一員として背番号「30」の姿勢が変わることはない。
○著者プロフィール
橋本健吾(はしもと・けんご)
1984年6月、兵庫県生まれ。報徳学園時代は「2番・左翼」として2002年に選抜優勝を経験。立命大では準硬式野球部で主将、4年時には日本代表に選出される。製薬会社を経て報知新聞社に入社しアマ野球、オリックス、阪神を担当。2018年からFull-Countに所属。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)