残り4枠狙う2年目の大器 1度は引退決意も…兄が変えた運命、野手転向4か月でプロ入り

西武・モンテル【写真:宮脇広久】
西武・モンテル【写真:宮脇広久】

2歳上の兄・日隈ジュリアスさんは左腕投手としてヤクルトでプレー

 育成選手がシーズン中に支配下選手へ昇格できる期限は7月31日。今、1軍戦に出場する資格を勝ち取ろうと必死の選手たちがいる。西武2年目の育成選手・モンテル(本名・日隈モンテル)外野手もその1人だ。

 豪快なスイングと俊足、強肩が魅力の24歳は、今季イースタン・リーグで34試合に出場し打率.232、10打点。盗塁は7度試みて全て成功させている(20日現在、以下同)。「守備のレベルは上がってきたのですが、やはり打たないことには(1軍に)上がれない。それが一番大変です」と苦笑する。

 沖縄生まれで、2歳上の兄・日隈ジュリアスさんも左腕投手として2015年ドラフト4位でヤクルトに入団し、2年間支配下登録選手だった。左肘のトミー・ジョン手術を受け、その後3年間育成選手として過ごし、2020年限りで退団している。

 3歳の頃、兄に連れられて野球を始めたモンテルは、金光大阪高などを経て、投手として沖縄の独立系プロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」に入団。2021年にはジュリアスさんも加入し、兄弟で同じユニホームを着た。ところが、同年8月にジュリアスさんが現役引退を発表すると、モンテルも引退するつもりで琉球を退団した。「そこの球団でいろいろあったので、『もういいや』って……」と振り返る。

 最終的に引退を撤回したのは、ファンからの応援メッセージと、ジュリアスさんの「俺が支えるから、もう1年だけ野球をやれ」という言葉があったからだ。2020年は四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでプレー。同年7月頃、NPB入りの可能性を広げるため外野手に転向した。

「外野手は初めてだったので、ゼロからのスタート。バッティングも、もう何年もやっていなかったので、『こんな速い球を打てるかな?』と不安でした。本当はその年で野球をやめるつもりだったので、最後に全力でやり切れたらと思って転向した感じです」と本音を明かす。しかし間もなく、ガッツ溢れる積極的なプレーでチームの「2番・センター」に定着した。

西武・モンテル【写真:宮脇広久】
西武・モンテル【写真:宮脇広久】

運命を変えた西武の入団テスト…潜在能力重視の新機軸

 モンテルをNPB入りに導いたのは、同年10月のドラフト会議前に西武が行った入団テストだった。西武は前年までの入団テストとは違い、視神経反応テスト、ワットバイクによる脚力計測、メディシンボールの垂直スロー、10メートル走、20メートル走など、潜在能力の高い選手を発見するための新機軸を打ち出していた。そうでなければ、4か月前に野手転向したばかりのモンテルが、育成2位とはいえドラフト指名されることはなかったかもしれない。

 入団1年目の昨年、モンテルの前に立ちはだかったのは守備の課題。熊代聖人2軍外野守備・走塁コーチから、付きっ切りで指導を受けたという。「本当に基礎の基礎、ボールを捕る姿勢から教えてもらいました。今では『1軍レベルまでできるようになっている』と言われます」と笑顔がこぼれる。

 一方、小関竜也2軍野手総合コーチは「昨年1年間で、だいぶ野手らしくなりました。今季は自分のアイデアでセーフティバントを決めたこともあります。現時点では守備と足がセールスポイント。打撃も強く振ることはできるので、あとはいかにバットに当たる確率を上げていけるかです」と評する。モンテル自身も「コンタクトをしない限り、ボールは前に飛ばない。当てることができれば、自分の足なら安打にできますから」と、持ち味を生かそうとしている。

 西武では6月3日に菅井信也投手、同9日に奥村光一外野手が育成選手から支配下登録選手となった。モンテルにもまだ、今季中に昇格する可能性は残されている。

 モンテルの背番号119は、くしくもジュリアスさんがヤクルトで育成選手になってから付けていた番号と同じ。「お兄ちゃんは支配下で入ったので、僕もまず支配下になって追いつかないといけない」と兄の背中を追う。ベルーナドームを走り回る姿が待ち遠しい。

(倉林知子 / Tomoko Kurabayashi)

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