足を踏み入れた瞬間に鳥肌 黒人リーグの聖地で…元巨人助っ人が再認識したメイズ氏の偉大さ【マイ・メジャー・ノート】
米最古の球場で初のMLB公式戦…メイズ氏の急逝で加わった新たな意味
歴史的な一戦が、伝説の外野手の急逝で追悼の色合いを濃くした。
6月20日(日本時間21日)、米南部アラバマ州バーミンガム。同州最大のこの都市の西にある米最古の球場「リックウッド・フィールド」で、メジャー史上初となるジャイアンツ対カージナルスの公式戦が開催された。1910年開場の同球場は、当初、マイナーリーグのバロンズの本拠地であったが、1920年以降は黒人だけのプロ野球リーグ、いわゆるニグロリーグのブラック・バロンズも使用した。
史上初となる同地でのメジャー公式戦開催は、ニグロリーグへの表敬試合として企画されたが、開催2日前の18日(同19日)に、かつてブラック・バロンズで躍動し、その後メジャーで光彩を放ったウィリー・メイズ氏の急逝で、新たな意味が添えられた。。
93歳で逝った名選手をリアルタイムで知るメジャーファンはもう少ない。だが、「戦後最高の外野手」と称えられるその存在の大きさは、若年層のファンにも認知されている大スターたちが見せたこんな場面からも窺い知れた。
ニューヨーク州クーパーズタウンの野球殿堂博物館からはこれまで門外不出だったメイズ氏のレリーフが運ばれ、前日19日(同20日)からプロ野球選手として産声をあげた思い出の球場に展示された。そしてこの日は、両軍の全体練習終了直後に左翼の芝の上にも置かれ、バリー・ボンズ氏、ケン・グリフィーJr.氏らが神妙な面持ちで記念写真を撮っていた。
1991年に巨人でプレー、フィル・ブラッドリー氏の姿も
メイズ氏は、兵役で約2年間の空白の時期がありながらも、メジャー23年間で通算660本塁打を放ち、史上唯一の「3000安打、300本塁打、打率3割、300盗塁」を達成。1973年の殿堂入り記念レリーフの横で、CC・サバシア氏他、現役の選手たちも表情を整えカメラのシャッター音を待った。
その光景を遠巻きに見つめる関係者の一群に懐かしい顔を見つけた――。かつて巨人でプレーしたフィル・ブラッドリー氏である。まだ覚えている向きも多いのではないだろうか。
入団した1991年の開幕戦で初打席初本塁打の華々しいデビューを飾ると、7月の北海道遠征では、開幕以来14試合連続セーブの日本記録を更新中だった広島・大野豊から逆転サヨナラ3ランを放った。打率.282、21本塁打、70打点の成績を残したが、1年で退団。「正直、日本の野球にはなじめなかった」が理由だった。
日米合わせ9年の現役生活を1992年シーズン限りで終えたブラッドリー氏は、ミズーリー州のカレッジでコーチを務め、1999年に時のドン・フェアMLB選手会専務理事に誘われ、今年で25年目を迎えている。
メイズ氏に近寄れなかったブラッドリー氏「あまりにも偉大な存在」
ブラッドリー氏に聞いた。ウィリー・メイズ氏の殿堂プレートの横で写真に納まる元スター選手たちの姿に思うことはあるのか、と。
「ここはいにしえのニグロリーガーたち、そしてあのウィリー・メイズが将来を夢見てしのぎを削った場所。一歩足を踏み入れた瞬間に鳥肌が立ちました。僕も彼らと同じアフリカ系アメリカ人ですから。ボンズやグリフィーも同じ気持ちでしょう。それと、もう一つ。これは僕だけの思いなんですが……」
言葉を切った。そして結論につなげた。
「子供のころ、フィラデルフィアでウィリーの試合を見ています。聞きしに勝る三拍子そろったプレーを目の当たりにして本当に驚きました。僕は83年から90年までメジャーでやりましたが、この間に、何度かフィールドで彼の姿を見かけていたんです。でも、近寄ることはしなかった。嫌いだったわけじゃないですよ(笑)。で、本心はね、近寄れなかったんですよ。彼は偉大すぎました。僕にとっては」
1983年にマリナーズでメジャーデビュー。イチローに更新されるまでは、球団の新人最高打率と最多盗塁記録を保持するなど奮闘していたブラッドリー氏が、メイズ氏には自己紹介すらもできなかったというのだ。畏敬の念が強かったことは理解できるが、性格もあったのであろう。数年前に日本時代についてじっくりと話を聞いた際のことを思い返すと、生真面目で控えめであり、繊細な印象を受けた。
ブラッドリー氏は、昨年にリックウッド・フィールドでのニグロリーグ表敬試合開催が正式に決定した時、ウィリー・メイズ氏の参加を心から願い「もう恐れることなく自分から歩みよる」と自身に誓ったという。残念ながら、それは叶わなかった。
再現された当時のロッカールーム…白人選手のためのものだった
メイズ氏の栄誉を称えホームベース後方には彼の永久欠番「24」が描かれ、試合前の追悼セレモニーでは彼が名付け親のバリー・ボンズ氏、ケン・グリフィーJr.氏とともに、彼の息子マイケル・メイズ氏が登場。元ニグロリーグの選手が50人以上参列。そしてメイズ氏とブラック・バロンズで親友だった参加最高齢99歳のビル・グリーソン氏が始球式を務め、歴史的な一戦にプレーボールが宣告された。
気温32度。南部特有の蒸し暑さの中で大いに盛り上がった歴史的な試合は、見る者それぞれの解釈をもたらした。記者には、再現されている当時のロッカールームが刺さった――。
それは白人選手のためのもの。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、テッド・ウィリアムズらは使えても、ジョッシュ・ギブソン、サチェル・ペイジ、ウィリー・メイズらニグロリーガーには認められなかったという冷酷な事実だ。
古き良き時代の息吹を今に伝えるリックウッド・フィールド。曇りのない目で向き合うと、剥き出しの過去が立ち上がってくる。伝説球場の歴史は重い。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)