阪神躍進の裏で…崩壊した肘「もうやばかった」 投げられないのに昇格、悪化し続けた痛み|球界群像 田村勤#11
阪神で活躍した田村勤氏【写真:山口真司】田村勤氏は2年目の1992年に守護神として活躍も…左肘に異変が生じた
どうすることもできなかった。元阪神の横手投げ左腕・田村勤氏はプロ2年目の1992年、開幕からクローザーを任された。ストレートの球速も140キロ台後半までにアップ。小気味いいピッチングで相手打線を牛耳り、セーブを積み重ねた。1987年から前年の1991年まで6位、6位、5位、6位、6位と低迷続きだったチームも優勝争い参戦の大躍進。だが、田村氏はそのシーズンを最後まで全うできなかった。左肘が悲鳴を上げた……。
1992年、プロ2年目で虎の守護神となった田村氏は黙々と仕事をこなしていった。開幕2戦目だった4月5日のヤクルト戦(神宮)で3-3の9回裏からシーズン初登板。ゼロに封じて延長戦に突入した。10回表に阪神打線が3点を奪い、2イニング目のその裏をピシャリと抑えて勝利投手となった。2登板目の4月8日の巨人戦(東京ドーム)は5-4の8回裏から2イニングを投げて4三振を奪うなど無失点でセーブをマーク。波に乗った。
この年の阪神は「たむじい」こと田村氏の活躍とともに、若虎の亀山努外野手と新庄剛志外野手の“亀新フィーバー”も巻き起こり、大きな話題となった。「新庄とは一緒にご飯を食べに行ったりしましたね。彼はよく、僕のピッチングフォームを真似するんですよ。ファンが見ている前でもね。僕のことを『たむじい』っていうから『“さん”はつけろよ』といったら『たむじいさん』と呼ばれるようにもなりましたけどね」。チームのムードもよかったようだ。
2年目のラスト登板は7月3日、8月に再登録もマウンドに上がれず…チームもV逸
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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