コロナで不戦敗から3年、後輩が繋いだ宮崎商の夢 勝利に前進も…終盤に起きた“悲劇”
当時のレギュラー中堅手・若松大雅さんら4人がアルプス席に陣取った
第106回全国高校野球大会は10日、甲子園球場で第4日が行われ、第1試合で3年ぶり出場の宮崎商が名門・中京大中京(愛知)に優位に試合を進めたが、7回に逆転され3-4で涙を飲んだ。
3年前の2021年も、宮崎商の存在は印象的だった。52年ぶり出場の選抜大会は、1回戦で天理(奈良)に1-7で敗れたが、夏の宮崎大会を勝ち抜き、13年ぶり夏の甲子園出場を決めた。ところが、智弁和歌山との初戦の2日前になって、チーム内で新型コロナウイルスの集団感染が判明。急きょ出場辞退を申し入れ、大会出場回数にはカウントされたものの、史上初の“不戦敗”となったのだった。
試合ができないまま宮崎に戻った当時の選手たちと、橋口光朗監督の心境は察するに余りある。しかし、橋口監督はこの日の試合前、万感の思いを抱えながらも、「今の選手たちには関係ない。(3年前の思いを晴らす)責任を負わせる気持ちはさらさらありません。自分たちの夢である甲子園を決めた子どもたちに、思う存分暴れて、楽しんでほしいと思います」と語っていた。「その中でもし勝つことができたら、3年前の関係者、部員、保護者、応援してくれた方々に報告したいと思っています」と付け加えた。
こうして、宮崎商にとって甲子園で3年越しのプレーボールがかかった。三塁側アルプス席には2021年当時の3年生部員4人の姿があった。レギュラー中堅手だった若松大雅さん、控え内野手だった伊藤桔平さん、マネジャーだった田村蒼生さん、女子マネジャーだった日野香花さんだ。
若松さんは福岡県の北九州市立大で硬式野球を続けている。この日は練習がオフで、午前5時半に起床し、JR小倉駅から新幹線に乗って日帰りで甲子園に駆けつけた。午前8時2分の試合開始には間に合わず、3回まで進行していた。「自分たちは試合ができませんでしたが、こうして“宮商”のユニホームを着て夏の甲子園で活躍する姿を見られて、うれしいです」と笑顔を浮かべた。
「1点差で勝ち切る」ゲームプラン通りの展開も7回に暗転
「(不戦敗のことは)正直言って、思い出したくはありません。ただ、当時の3年生全員で『このことを大人として深く受け止めて、次のステップに進もう』と話し合ったことを覚えています」と振り返る若松さん。「今は調子の悪い時に3年前のことを思い出して、野球ができる喜びをかみしめて、前向きに、前向きにと自分に言い聞かせています」と明かした。一方で「僕たちも橋口監督と同じ気持ちです。今の選手たちには何も背負わず、自分たちの野球をして勝ってほしいです」と強調した。
試合は、接戦に強い宮崎商のペースで進んだ。しかし、3-2で迎えた7回の守りで不運に見舞われる。1死走者なしで、センター前に落ちる小飛球をダイビングキャッチしようとした遊撃手の中村奈一輝内野手(3年)の両足がつってしまったのである(記録は二塁打)。
「1番・遊撃」の中村は、宮崎大会の全5試合にリリーフ登板した“守護神”でもある。本来なら、このピンチでマウンドに上がっていたかもしれないが、思わぬアクシデントがそれを不可能にした。結局、先発の上山純平投手(3年)が続投し逆転を許した。
橋口監督は「“たられば”を言ってもしようがありませんが、ウチの展開でゲームを運べていただけに、中村の足がつってしまったことは少し悔いが残ります。本当は、あのまま1点差で勝ち切るのがウチの野球でした」と無念の表情を浮かべた。「後輩たちがまた、この悔しさを晴らしに(甲子園に)来てくれると思います」と来年以降に思いを馳せるしかなかった。
3年前の宮崎商の姿は、今年の選手たちの脳裏にも焼き付いていた。中村は「僕は当時中3でしたが、先輩たちが宮崎大会で泥だらけになりながらプレーする姿、間一髪のタイミングをヘッドスライディングでセーフにして試合の流れを変えるところに憧れました」と振り返る。「自分としては“泥臭いプレー”を目指してやってきて、今日もそれができたのでよかったと思います」と納得顔だった。
宮崎県勢の甲子園での勝利は、2018年夏の日南学園が最後。宮崎商の目標の1つだった“宮崎県勢令和初勝利”はかなわなかったが、思いはまた、後輩たちに引き継がれていくはずだ。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)