中日キャンプで異変「死ぬかもしれん」 同僚から震える一言…灼熱地獄で感じた身の危険

元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】
元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】

山崎武司氏は3年目の1989年に1軍デビュー…同期の燕・内藤から初安打

 灼熱地獄に震えた。元中日の山崎武司氏(野球評論家)は1989年のプロ3年目に1軍デビュー。20試合で29打数5安打の打率.172、0本塁打、2打点の成績だった。9月7日の広島戦(広島)でのプロ初打席は代打で三振。「8番・捕手」でスタメン出場の10月15日の広島戦(広島)では正田耕三内野手に5盗塁を許してしまい話題になったが、この年から始まったオーストラリアキャンプも忘れられないという。「死ぬかと思った」と苦笑した。

 捕手で入団した山崎氏はプロ1年目の1987年に三塁に転向して米国留学を経験したが、帰国後は星野仙一監督の指令で再び捕手になった。1軍では中村武志捕手が急成長。1988年からレギュラーポジションをつかんでおり山崎氏にとって、その存在は高い壁になった。一方で打力は年々アップ。3年目の1989年はウエスタン・リーグで本塁打王、打点王の2冠に輝き、9月になって1軍昇格となった。

 初打席は9月7日の広島戦。4-0の9回に代打で出場し、広島・川端順投手と対戦して三振だった。「川端さんのパームボールかな。ストーンって落ちる球にね。もう目茶苦茶緊張しましたよ」。初安打は3試合目の出場となった9月10日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)。4-8の9回に代打で出て内藤尚行投手から左前打を放った。「ポテンヒットだったけどね。くしくもギャオス(内藤)からだなって思いましたね」。

 愛知・豊川高出身で同い年の内藤はこの試合で10勝目をマーク(1989年成績は41登板で12勝5敗8セーブ、防御率2.82)。高校時代にも対戦経験がある山崎氏は「ギャオス、スゲーなぁって思っていた。高校の時は俺らが見下ろしていたヤツだったんでね」。その相手からのプロ初安打は意地を見せた格好にはなった。

 それで勢いに乗ったのか、4試合目(9月13日の大洋戦、横浜)も代打でヒットを放ち、プロ初打点をマーク。5試合目(9月16日の広島戦、ナゴヤ球場)は代打から初めて捕手に就き、プロ初の二塁打も含む2打数2安打1四球と結果を出した。14試合目の出場だった10月14日の広島戦(広島)では「8番・捕手」で初先発し、フル出場も経験した(2打数無安打2四球)。

広島・正田に許した5盗塁「大失態でした」

 この年のスタメン出場はその後、3試合。10月10日の阪神戦と10月14日の大洋戦(いずれもナゴヤ球場)と10月15日の広島戦(広島)に「8番・捕手」で出場し、その最後の試合で広島・正田に5盗塁を許した。「大失態でしたよね。こっちは真剣に投げてあれだったのに、八百長じゃないかとまで言われて……。だけど、あの時の俺、実は全然へこんでなかったんですよ。これでキャッチャーをクビになる、やめられるって思ったんでね」。

 捕手ではなく、打力で勝負したい。その気持ちがより強くなっていたからだが、「すぐはやめさせてくれなかった。次の年もキャッチャーをやらされたんですよねぇ」と話す。そして思い出したのが灼熱地獄のオーストラリアキャンプでの出来事だった。「40度くらいあるなかで、中村さんと2人、(バッテリーコーチの)加藤(安雄)さんに『ノックだぁ!』って言われて2時間やって……」。震えたのはその時だ。

「練習の後半になって中村さんに『おい武司、お前、寒くないか』って言われたんですよ。40度あるんですけど、確かにそうだったんです。『実は俺もそれを感じていたんですよ』ってね。水分が全部出切っちゃったら寒くなったんですよね。『やばいよな、死ぬかもしれんなぁ』とか言って『すぐ水飲むぞ』ってペットボトルを何本も飲んでブワーって汗をかいたから暑くなったんですけどね」。まさに壮絶な捕手練習だった。

「あの時は毎回、ものすごく練習をやらされましたからね。全体練習が終わったら、中村さんと2人でトレーナー室に行って『おい、今日を乗り切るためにアリナミン何錠飲む?』『俺、今日は15錠いっときます』とか、そんなことをふざけて言っていましたからね、もうアホですよ」と笑いながら話したが、当時は全く笑えない状態だっただろう。

「まぁ、オーストラリアキャンプっていろいろありましたよ。雨が降った後に早く練習したいからって、マウンドのところにヘリコプターを持ってきて、それでバババババーって水を吹っ飛ばして『さぁ練習始めるぞ』とかね」と懐かしそうに話した。いずれもまだまだ下積み時代の話。このような苦難をいくつも乗り越えて中日で主力打者になっていった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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