大打者にお手上げ「いらんこと言うなぁ」 最強エースが苦戦…苦汁をなめた“観察眼”
星野伸之氏が苦手にした落合博満「打たれるのがお約束で当たり前」
阪急・オリックスなどで活躍した左腕・星野伸之氏(野球評論家)にとって“大天敵”は、3冠王に3度輝いた落合博満内野手(元ロッテ、中日、巨人、日本ハム)だ。「打たれるのがお約束のようにもなっていた」と苦笑するほど、相性が悪いと感じていたという。プロ4年目の1987年、オールスターに初出場した際には、落合の“指示”で痛い目にあったという。「ホントすごかったですからねぇ」。その打撃には完全脱帽だった。
星野氏が1軍で投げるようになったのは2年目の1985年。「もう落合さんは別格でした。目茶苦茶打たれていたと思いますよ」。その年にロッテ・落合は打率.367、52本塁打、146打点で2度目の3冠王に輝いた。翌1986年も打率.360、50本塁打、116打点で2年連続3度目の3冠王。そのオフにトレードで中日に移籍した。通算2371安打、510本塁打の大打者が最も打ちまくっていた時期に、星野氏はパ・リーグで対戦して“えじき”になっていた。
「落合さんは、とにかくうまいですからねぇ。まぁ僕が打たれたというのもあるんですけど(阪急エースの)山田(久志)さんからも打つじゃないですか。それも『シンカーしか待っていないから』と宣言してね。どこだったかなぁ、山田さんと落合さんの対決があって、(カウント)2-2まで山田さんは真っ直ぐとスライダーしか投げてなくて、5球目か6球目にシンカーを投げたら、バックスクリーンにホームランでしたよ」
星野氏は落合の打棒に「スゲー、何だろう、この技術と思った」と話す。「なんかね、そういうのを見たら僕も打たれた気分になっていくんですよ。どんどんどんどん落合さん、スゲーな、スゲーなっていうのがすり込まれていくというんですかねぇ。でもね、そんな凄すぎる人にはあまりフォアボールを出したくないんですよね。それで勝負して打たれて、まぁしょうがねぇかって……。もう打たれるのがお約束で当たり前にもなっていましたね」。
4年目で球宴先発も初回に被弾…「落合さんが指示を出していたって話なんですよ」
印象に残っているのが、1987年のオールスターゲーム。星野氏は高卒4年目にして監督推薦で初出場した。シーズン前半は8勝5敗。4月14日の西武戦(西武)、4月22日の近鉄戦(日生)、6月23日の南海戦(大阪)、6月28日のロッテ戦(西宮)、7月10日の日本ハム戦(西宮)と、パ5球団から完封勝利を挙げるなど売り出し中の左腕として、7月25日の第1戦(西武)にパ・リーグの先発マウンドを任された。その時のことだ。
結果は2回31球、打者9人に被安打3、奪三振5、失点2。初回に3番の巨人・原辰徳内野手に先制2ランを浴びた。「原さんにカーブを打たれたんですけど、あれ、落合さんが全部指示を出していたって話なんですよ」と星野氏は言う。「後で誰かに聞いたんですけど、『絶対カーブが来るからカーブだけ待っとけ』と落合さんが全員に言っていたって。確かに先頭の(広島の)山崎(隆造)さんはストレートを見逃し三振だったんですよ……」。
まだ、交流戦などない時代。セ・リーグの打者は、台頭したばかりの星野氏のことをよく知らなかったようだ。そこで、ロッテ時代に対戦経験があった落合が、“星野対策”のアドバイスを送っていたのだろう。ちなみにこの試合でセの4番を務めた落合はカウント1-2から4球目、星野氏の内角直球を全く打つ気なしの見逃し三振。勝負球にカーブだけを待っていたかのような雰囲気を漂わせていた。
星野氏はセ・リーグの他の打者からもカーブ狙いを感じたそうで「いらんこと言うなぁ、落合さんって思いましたよ」と笑いながら振り返った。そんなことを含めても“相性”は最悪だったということか。「日本シリーズ(1996年のオリックス対巨人)でも僕は落合さんに打たれましたからね(第1戦に先制打)。何か遊ばれているような……」。苦手だった選手を聞かれれば、真っ先に落合の名前が浮かぶ。まさに大天敵だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)