降格寸前のぎっくり腰「あぁ!?」 コーチ“黙認”、坐薬で鎮痛…打ち明けた葛藤

取材に応じた元西武・犬伏稔昌【写真:湯浅大】
取材に応じた元西武・犬伏稔昌【写真:湯浅大】

元西武の犬伏稔昌氏は12年目の2002年に優勝貢献した

 西武で15年間プレーした犬伏稔昌氏は入団11年間で1軍出場機会は8試合だったが、12年目の2002年に開幕1軍入りを果たすと、ロッテとの2戦目で「3番・指名打者」でスタメン出場するなどキャリアハイの74試合に出場し、打率.307の成績を残した。

 同年、伊原春樹新監督が犬伏氏を1軍の高知・春野キャンプに抜擢した。「ブルペン捕手が足りなかったからだと思いますよ」。全体練習の間はブルペンで次々と入れ替わる投手の球を受け続け、自身の練習は全体が終わってから。室内練習場でマシン打撃を行った。

「金森(栄治)打撃コーチが付きっきりで見てくれました。それまで前さばく感じで打っていたのですが、呼び込んで打ってみよう。徹底的に打ち方を変えよう、と。それこそ休養日も休むことなく毎日、打ち続けました」

 オープン戦に向けて1、2軍を振り分ける紅白戦で快音を連発。「打っちゃったもんだから、僕を落とせないんですよ」。その後も使われるたびに結果を残し、オープン戦打率.368の成績で12年目で初の開幕1軍入りを果たした。

 迎えた3月31日の開幕2戦目のロッテ戦、相手先発はサウスポーの加藤康介だった。2軍時代から左投手キラーとして練習を積み、オープン戦でも好成績を残した犬伏氏だったが、当初のスタメン予定は左打者の鈴木健だった。しかし、ここで犬伏氏と猛特訓の日々を過ごしてきた金森コーチが「何のために犬伏がいるんですか!?」と伊原監督を説得。「3番・指名打者」で犬伏氏のスタメン起用が決まった。

「金森コーチにそこまでしてもらった。打たなければ落とされる。必死でした」。3打数2安打1打点で勝利に貢献し、1軍にしがみついた。このシーズンは相手が右投手なら宮地克彦や貝塚政秀、左投手なら犬伏氏が出場するパターンが主となっていた。春先は好調だったが、6月に入ると下降気味に。同19日のダイエー戦で好機に代打で出場するも併殺打。2軍降格が目前となった翌20日の同カードで、2点を追う9回1死二、三塁でベテラン左腕の吉田修司から代打逆転サヨナラ本塁打。起死回生のアピール弾で「命拾いしました」と笑った。

夏場にぎっくり腰も坐薬で鎮痛剤「死に物狂いでやりました」

 しかし夏に入り、試合前のノックで「ぎっくり腰をやってしまいました」。幸いにも程度は軽く、バットは振ることができる。全力は厳しいが走ることもできた。守備が問題だったが、置かれている立場上、怪我をしていると伝えたら即2軍行きは免れない。

 まずは信頼する笘篠誠治守備・走塁コーチに「トマさん、すみません。腰やっちゃいました……」。こっそり打ち明けた。「あぁ!? で、打てるのか?」「打てます」「走れるのか?」「走ることはできます」。一瞬の間を置き、笘篠コーチからは「分かった。ノックは受けんでいい。打つ準備だけしておけ。そのかわり治ったら練習は倍な」。伊原監督にも報告を上げず“黙認”してくれた。

「助かりました。1軍に残してもらったからには絶対に打って、トマさんの気持ちに応えないといけない。死に物狂いでやったのを覚えています。鎮痛剤を坐薬で入れてプレーしました。坐薬の方が効き目も早いし、錠剤だと胃がやられちゃうので」

 チームが首位で迎えた9月21日、西武はロッテに敗れたもの2位のダイエーが引き分けたことで4年ぶりのリーグ優勝が決まった。犬伏氏も優勝に貢献し、深夜まで美酒に酔った。ただし、翌22日も試合はある。出場を“辞退”したカブレラに代わり、相手先発も左腕の加藤康介だったことで「3番・一塁」でスタメン出場。その時点での犬伏氏は打率3割弱だった。

「加藤から2本打って3割に乗せることができたんです。途中で相手が右投手に代わったので、いつものように自分も交代かと思ったらそのまま出続けて……。凡退なら3割を切っていた状況だったんですが、苦手な右投手から打ったんです」

 この年、自己最多の74試合に出場した。「初めてフルで1軍にいて、(151打席で)規定には到達していないけど、打率.307を打つことができた。伊原監督、金森さん、笘篠さんら、本当に指導者に助けられた1年でした」。それまでの11年間で1軍出場8試合の苦労人が、長打率.457と大暴れし、見事に輝いた。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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