公立進学校の左腕・濱岡が見据える“プロ”の道 神奈川の強豪を封じた逸材は「まだまだ伸びる」

川和・濱岡蒼太【写真:大利実】
川和・濱岡蒼太【写真:大利実】

父親から教えてもらった高校「興味を持つようになった」

 この1年、自らの投球で強豪私立を苦しめ続けてきた。春は桐蔭学園を8回まで無失点(0-3)、夏は桐光学園を6回まで無失点(1-4)、秋は東海大相模を8回まで2失点(2-3)。いずれも完投で敗れはしたが、その存在感を大きく示した。秋以降の練習試合でも、健大高崎を7回1失点、聖光学院を7回無失点と、好投を見せている。

 神奈川県立川和のエース濱岡蒼太。東大合格者を輩出する県内屈指の進学校に、プロのスカウトが注目する左腕が現れた。ストレートの最速は144キロを表示し、好調時には130キロを超えるカットボールを投じる。「大学進学」が既定路線と見られていたが、プロ野球に強い意志を示している。

「プロ志望です。川和に入ったのも、高卒でプロに行きたいからです」。笑顔を浮かべながら、堂々と言い切った。「ここまで伸びてきたことを思えば、自分はまだまだ伸びる。プロに行けると思いながら、練習しています」。

 入学時から体重は20キロ以上増えて(177センチ、87キロ)、ストレートの最速も15キロ近く上がった。ピッチングやトレーニングに関する知識も増え、充実した日々を送っている。

 なぜ、公立の川和からプロを目指そうと思ったのか――。「私学からも誘いがあったんですけど、自主練習の時間が多くて、個の力を伸ばせる学校に行きたいと思っていました。自分でできる時間が多いほうが合っている。川和のことを最初に教えてくれたのがお父さんで、そこから興味を持つようになりました」

指揮官が忘れられないエピソード「なかなかいません」

 中学3年時の学業成績はオール5。川和を率いる平野太一監督が、興味深いエピソードを教えてくれた。「学校説明会で初めて会ったとき、濱岡が30個近い質問を用意していて、ノートを開きながら、『質問よろしいですか?』と聞いてきました。こんな中学生、なかなかいませんよね」。

 指揮官が平野監督に交代するタイミングだったこともあり、新監督の指導方針が気になっていたようだ。濱岡が当時を振り返る。

「その場で、『プロ野球選手を目指しています』という話をしました。平野先生から、『なれるかどうかは自分次第だけど、全力で応援する。なれるように信じる』という言葉をいただいて、平野先生のもとでやりたいと思いました」

 好きな言葉は「努力」。なかなか言えるものではないだろう。「自分がここまで伸びたのは才能ではなく、努力だと思っています。小学5年生(南長津田ジュニアジャイアンツ)までは全く試合に出られなくて、6年生のときも最初は7番右翼。ほかの選手と同じ練習をしていたら、今のようにはなれなかったと思います」。

川和・濱岡蒼太【写真:大利実】
川和・濱岡蒼太【写真:大利実】

SNSやYouTubeで試行錯誤しながら磨いた技術

 大きな転機は、横浜市立田奈中の1年時にあるという。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、およそ2か月の休校期間があった。

「父親と一緒にSNSやYouTubeを見て、トレーニング方法やピッチングを勉強するようになりました。ネットに出ている論文も読んで、知識を入れる。山本由伸投手のフォームや変化球の投げ方をよく真似していました」

 山本由伸が変化球を投げるときのリリースを、何度もコマ送りにしながら分析して、カット系のスライダーを習得した。変わっていく自分が楽しくて深く追求するようになった。上級生になると、英語の勉強を兼ねて、メジャーリーグのトレーニングや投球理論を調べ、試行錯誤しながら取り入れたという。

 中3時には横浜クラブ(横浜市選抜)に選ばれ、白鳥拓海(横浜隼人中/現・横浜隼人高)、八木隼俊(横浜市立中田中/現・武相高)とともに、高校関係者から注目される投手に成長した。

誰よりも練習に励む左腕「とにかくストイック」

 川和では1年夏にデビューをするが、すぐに結果が出るほど甘いものではない。主戦となった秋は、3回戦の藤沢翔陵戦で先発するも、初回に四球や自らのミスで4点を失い、2-6で敗れた。当時はコントロールに不安があり、良いときと悪いときの投球に大きな差があった。

 1年生の11月からは平野監督の紹介で、北川雄介氏(DIMENSIONING)からピッチング指導を受けるようになり、体の使い方を根本から見直し、球速アップとコントロール向上に着手。グラウンドでは、長瀬裕則ピッチングコーチから助言を受けながら、フォーム作りに励んだ。ウエートトレーニングにも本格的に取り組み、冬場だけで10キロ近く体重が増えた。

 1年秋からバッテリーを組む佐久間寛太が、この2年間の成長を証言する。

「大会で負けを重ねるごとに、強くなっています。1年生のときはストライクゾーンの枠の中に思い切り投げるだけだったんですけど、今は打者を見ながら投げることができている。一緒にいて感じるすごさは、自分自身の課題に対して、愚直に素直に取り組んで克服しようとしているところ。野球に対して、とにかくストイック。でも、1人で頑張るのではなく、周りも取り込んで動かせる力を持っています」

 平野監督も、「チームで誰よりも練習するのが濱岡。それは間違いありません」と言い切る。取材当日は、放課後に30分ほどのインタビューをお願いしていたため、ウエートトレーニングに時間を割けないことがあらかじめわかっていた。朝早めに登校し、昼の時間も使って、やるべきメニューに取り組んでいたという。

 さらに、「野球以外の部分での人間的な成長も見えるようになってきた」と佐久間。毎朝行っている学校の環境整備では、率先して落ち葉を掃除する濱岡の姿が見られるようになったという。エースとしてふさわしい振る舞いを、手にしつつある。

「なぜか打たれない不思議さ」左腕が秘めたポテンシャル

 ドラフト会議は10か月後。スカウトが好む「細み、高身長、快速球」の「素材型」ではないことは、十分に自覚している。

「今の武器は、なぜか打たれない不思議さと、カットボールだと思っています。ラプソードで測ると、フォーシームの回転数が少ない分、初速と終速の差が少ない。空振りを取るというよりは、バッターを差して、ファウルでカウントを稼ぐタイプだと思っています」

「なぜか打たれない」という表現が興味深いが、平野監督は「濱岡のストレートは“ぼわー”っとくる」と表現する。リリースからバッターの手元までの球速差が少ない、という意味だ。「それでいて、ストレートとカットボールの球速帯がさほど変わらず、軌道も途中までほぼ同じ。だから、打たれにくい」と分析している。

 ただ、高卒プロを狙ったときに、「今のままではダメ」という考えが本人にはある。

「リリースで押すような投げ方になっているので、回転数が少ないのかなと思います。ドラフトで指名されることを考えたときに、それでは上のレベルにはいけない。トップからの外旋角度が浅いことが原因の1つだと思っているので、後ろを少し大きくする投げ方を練習しています。140キロ以上のストレートを投げているときは、無意識にこの投げ方ができている感じがあるので、その再現性を高めていきたい。それができれば、球速も上がっていくと考えています」

 来年夏に向けては、「圧倒できるようなピッチングをしたい。わかっていても打たれないストレートを投げたい」と決意を口にする。取材後、「これから、初動負荷のトレーニングに行ってきます」と学校を出る準備をしていた濱岡。自分のためになると思ったことは、積極的に取り入れる貪欲さを持つ。

「今はたくさんの人に支えられていて、その人たちのためにも『プロにならなきゃいけない』と思う使命感が出てきています。父親は、ぼくが家でだらだらしていると『それじゃあ、プロになれないぞ!』と言ってくれることもあって。両親は、『プロで仮に3年で戦力外になったとしても、そこから大学に行けばいい。だから自分がやりたいことを頑張りなさい』と言ってくれています」

 今に全力を尽くし、さらなる努力を続けていく。その先に、目標の実現が待っていることを信じて――。

(大利実 / Minoru Ohtoshi)

○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY