代表選出のために「イタリア人と結婚すれば」 思いもよらぬ提案…異国で衝撃的な“オファー”
元近鉄の品田氏は2002年からイタリアでプレー…外国人枠は投手1人だった
元近鉄の品田操士氏は2001年、米独立リーグで2桁勝利を記録するなど活躍し、翌年も現役続行を希望した。新天地はイタリアに決定。「台湾とかアメリカの独立リーグとか、いくつか話はあったけど、イタリアが1番良い条件だったんだよね」。家や車、昼食の無料チケットがあり、給料は月1700ユーロ(当時約20万円)ほどだった。
当時は野球と言われてなかった欧州だが、イタリアの野球は歴史も古く、MLBとのつながりもうかがえた。当時の監督はマリナーズの欧州担当スカウトも兼任。「ホームの時は宣伝広告がたくさん入ったユニホームだったけど、アウェーではマリナーズのユニホームだった。他のチームもアウェーではMLB球団のユニホームだったよ」。
外国人選手の待遇は悪くなかったが、立場はシビアだった。1部リーグに相当するセリエAのチームのみ、外国人選手を獲得することができ、枠は3人で投手に限ると1人。「だからダメだったらすぐにクビ」。他にも試合は1週間に3試合で、土曜1試合、日曜はダブルヘッダー。外国人投手は土曜にしか投げられないルールで、対戦相手は常に外国人投手だった。「日曜はスコアをつけたりしていた。週に一度だから、100球を目途に交代することもなくて、外国人投手はできるだけ一人で最後まで投げてくれ、という感じだった」と振り返る。
最終的にはイタリアで活躍しシーズン最後までプレーすることができた。しかし当初、春季キャンプでは早くも危機があった。オープン戦で打たれるとすぐに監督から「状態を上げてくれ」と指摘。「いやいや、開幕にはあわせるよ、とは言ったんだけどね。野手の外国人もかなり入れ替わっていたなぁ」。常にシビアな環境だった。
外国人枠免除のためにイタリア人女性と結婚させるチームも「なんか、ずるくね?」
「外国人枠は、アメリカや中南米の選手が多かった。日本のプロ野球からはオレが初めてだったはず。日本の社会人から行った選手が、前の年までプレーしていたらしい。正直、前年のアメリカの独立リーグよりも厳しかった」
当時のイタリアはほとんどが米国のマイナーリーグでプレーしていた選手で、両方の国籍を持っている選手が多かった。「オレも最初は舐めていた。大したことないだろうって」。ただ、想像以上のレベルの高さだった。「野球は雑だったけどね。レベルで言ったら、日本の2軍のチームに外国人選手が2人いる、くらいの感じだと思う。アメリカの独立リーグよりイタリアの外国人の方が高給だから、それなりの選手が来ていた。こっちも必死だったよ」。
その中でも、シチリア島のチームは異色だった。選手のほとんどが中南米出身。外国人枠から外れるために、オーナーが中南米から若い選手を連れてきて、イタリア人と結婚させていたという。「選手はみんなスペイン語を話しているし、当然レベルは高い。『なんか、ずるくね?』みたいな」。“抜け穴”があることに驚かされた。
そんな環境で品田氏自身も衝撃的なオファーを受ける。「当時はオレも独身だったから、お前もイタリア人女性と結婚すれば、ナショナルチームに入れるよって。いやいや、そんな形で代表入りしたくないよって断ったけどね」。日本とは大きく違う環境だったが、米国に続きイタリアでも現地に順応。最多勝と最多イニングのタイトルを獲得したのだった。
(伊村弘真 / Hiromasa Imura)