プロ引退→アルバイトから始めた“第2の人生” 目指した寿司屋、元近鉄右腕の異色の転身

近鉄時代の品田操士氏【写真:本人提供】
近鉄時代の品田操士氏【写真:本人提供】

元近鉄の品田氏は現役を引退し寿司屋を目指してスーパーの魚屋でアルバイト

 近鉄で9年間プレーし、米独立、イタリアと渡り歩いた品田操士氏だが、引退後は野球界から一線を引いた。「イタリアの球団を退団する時に、野球そのものをやめよう、もうやり切った、と思った」。30歳で思い描いた第2の人生は寿司屋だった。

 いきなり開業はできず、最初は魚を覚えることからのスタート。「自宅近くのスーパーに新しく魚屋が入ると聞いた。それまでアルバイトなどもしたことがなかったから、やってみようと」。パートで入ったが、3か月くらいで社員になった。

 かなりのスピード出世だった。「こういう経歴だから社長をはじめ上層部に覚えてもらった、というのもあるけど、大きかったのはゴルフ」。元プロの経歴ではなく、ゴルフ好きの上司と一緒にラウンドを回ったことが功をなした。「会社には野球部があるわけではなく、草野球チームはあったけど、お前は絶対に入れないって言われた。オレたちが試合に出られなくなるからって」。

 3か国を渡り歩いた野球人生。イタリアや四国の独立リーグから誘いはあったというが、指導者など野球の仕事をするつもりはかなったのか、との質問には「いや、全然」とあっさり否定し、こう続けた。

「野球しかやってないから野球で、というのも一つの考え方だけど、このまま行くと本当に野球だけで、野球しか知らない人生になっちゃうなと思った。もう一度違うことを一からやったら、どこまで行けるかな、ってね」。50歳を超えた今、100年の歴史を持つ水産会社でいくつもの取引先を担当する課長として活躍している。30歳での選択は大成功だった。

感じる現代の指導者の難しさ「教えるのもめちゃくちゃ大変」

 野球界における現代の指導者の難しさについても話は及んだ。兄・聡一氏は浦和シニアの監督を務め、自身もOB。顔を出すこともあったが、「子どもたちに情報がありすぎて、今は教えるのもめちゃくちゃ大変だなと思う。情報社会で頭でっかちになっている中、こっちが今までの経験で、この子はこういうふうにした方がいいかな、と思っていてもなかなか指導しづらいよね」。

 こういう状況になることは、花咲徳栄高時代の恩師、稲垣人司監督がすでに予言していたそうだ。「当時でも、今の子は結果が出ない練習はしない、その傾向は今後もっと強くなる、って言っていたけど、本当にそうなったよね」。懐かしそうに振り返る。

 厳しい環境はかつての仲間たちを見ても痛感している。「野球だけでずっとメシ食っていけるのはごく一部。指導者でNPBのチームにいても、監督が代わればクビになっちゃう。不安定だよね」。高校野球でもプロ出身監督は厳しいノルマが科されることも。「引退後に野球以外の仕事をする人も少なくないけど、今思えば、オレなんかはうまく順応したほうなのかもね」。

 今は会社員として家族を支え、充実した日々を過ごしている。高校生の愛娘は膝を痛めてバスケットボールを辞め、父と同じゴルフをするようになった。「1年ちょっとの経歴で、大会にも出られるようになってベストは91。どんどんうまくなっている。一緒にラウンドしたりするけど結構飛ばすんだよね。たまに飛距離で負けるよ」。そう語る品田氏は、パパとしての素敵な笑顔を見せていた。

(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

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