消えぬ痛みに「球場行くのが怖い」 青く腫れ上がった肘…箸も持てぬ右腕の苦闘の5年間
元中日・丸山泰資氏は右肘の怪我でトミー・ジョン手術を受けた
5年間のプロ野球人生は、ほぼ痛みとの戦いだった。2021年限りで現役を引退した元中日投手の丸山泰資さんは、2年目に右肘を故障。保存療法を選んだが、状態は上向かずにトミー・ジョン手術を決断した。「痛いのが当たり前でした。プロ野球選手としては1年目しかやっていません」と苦悩の日々を振り返る。
丸山さんは、東海大から2016年のドラフト6位で中日に入団。1年目から1軍で登板の機会を得るなど飛躍の土台を築いたが、2年目の春に異変に襲われた。右肘の靭帯損傷。当初は注射を打って3週間のリハビリ、復帰まで3か月ほどとの見立て。患部をかばいながらプレーを続けたが、この選択がよくなかった。
痛みは増していくばかりで、悪化し続けた右肘の内側は青く内出血して腫れ上がっていた。「もう気持ち悪かったですね」。いま思い出しても顔をしかめるほどの状態。私生活にも支障が出るほどで「痛すぎてドアが開けられませんでした。ご飯も左手でずっと食べていましたし、何も動かしたくなかったんです。終わったと思いました」。
サードオピニオンまで受けた結果、骨折も分かった。どの医師からも手術以外の道はないと告げられた。1年間も投げられないリスクを選ぶのは容易なことではなかったが、心身ともに限界に達し、トミー・ジョン手術に踏み切った。
「2年目はちょうどドラフト上位指名の選手が投げられなくて、チャンスだったんです。下位指名の自分らがチャンスもらえるなんて、滅多にないので。焦りました。手術しないで治るならそっちの方がいいという考えでしたね。だから1年間のリハビリは絶望でした」
手術後も止まぬ痛み…「球場に行くことすらすごく怖くて」
術後も痛みが消えない。想像以上に怪我は深刻だった。「本当は痛くないはずなんです。手術は成功しているので。ただ、手術するまでに我慢しすぎちゃったみたいで……」。リハビリに費やした3年目を終えたオフに育成契約を告げられ、支配下復帰を目指した4年目も2軍で1試合登板に終わった。
背水の5年目、わずかに痛みの少なかったアンダースローに挑戦。トレーナーから投球のストップがかかっても「ここで休んだとしても、もうクビだから頑張らせてください」と頼み込んだ。自分の体の心配をしてくれている人に隠すことは失礼だという思いもあり、全てを打ち明け“わがまま”を聞いてもらった。
もう意地だった。登板前から冷や汗は止まらず、投げていても目の前の打者より自分の肘と対戦している感覚。「もう無理かもしれないってずっと思っていました。痛すぎて球場に行くことすらすごく怖くて……。結局投げたら痛い。でもやらなきゃいけない。すごくストレスを感じていました」。
支えてくれるスタッフや妻、最後のチャンスをくれた球団に感謝の思いで最後まで腕を振り続けた。骨はまた折れていたが、5年目のシーズンを走り抜いた。それでも想像していた未来は変わらず戦力外。どれだけ痛くても、やめたくても野球を嫌いになったことは一度もなかった。
「これから先のことは自分でも分かりませんが、自分が経験したことは伝えていきたいです」。引退後は中日の球団職員として働きながら、ドラゴンズアカデミーのコーチも務めている。怪我と向き合った経験を、次は子どもたちの未来のために活かしていく。
(木村竜也 / Tatsuya Kimura)