バラバラの指導方針で陥った“パニック” 楽天新人の苦悩「ついていけなくなった」
![楽天でプレーした平石洋介氏【写真:宮脇広久】](https://full-count.jp/wp-content/uploads/2025/02/14102417/20250214_hiraishi_mh.jpg)
元楽天監督・平石洋介氏、2004年ドラフト7位で楽天に入団
元楽天監督で、昨年限りで西武のヘッドコーチ兼打撃戦略コーチを退任した平石洋介氏が、39年ぶりにユニホームを着ないシーズンを迎えた。5歳で野球を始めてから初めてのこと。複数の球団からのオファーも断った。「いろいろやってみて自分がどう感じるのか、成長できるのかというのを考えて、いったん離れる決断をした」と心境を明かした。
2004年、新規参入したばかりの楽天からドラフト7位指名を受けてプロ入り。1年目のオープン戦では同い年の西武・松坂大輔投手から二塁打を放つなどアピールし、新人でただ1人開幕1軍入りを果たした。2戦目には「9番・中堅」でスタメン出場。順調に滑りだしたかのように思えたが、実際には打撃フォームで試行錯誤が続いていた。「オープン戦最後の辺りからおかしかったんです。シーズン入ってから悩みまくったんですよね、パニックになるぐらい」。あれこれ口出す指導者が多く“これだ”と思って練習に行くと、全く違うことを指摘され「ついていけなくなった」と振り返る。
アマチュア時代は「自分で考えて自分で整理してやってた」というが、ルーキーだけに複数の人が助言しようとしてきた。「自分の結果が出てないから、いろいろ周囲がサポートしてくれるんですけど、複数の人間から両極端のことを言われて……」。迷いが深まり、5月に2軍落ちとなった。「年齢的にも、もちろん1年目から勝負と思ってましたけど……。そんな甘くなかったです」。1年目は1軍で25試合、打率.178に終わった。
2年目は「別の問題が出てきた」と振り返る。楽天監督に野村克也氏が就任したのだ。「僕は野村さんにボロックソ言われてたんです」。野村氏の指導方針は「三流は無視、二流は称賛、一流は非難」。期待の裏返しである厳しい言葉も、度が過ぎていれば心がついていかない。この方針は平石氏には合わなかった。2年目は1軍出場が2試合だけ。3年目は1軍出場なし。4年目も6試合出場と、結果を残せないまま時間だけが過ぎていった。
7年間で37安打、打撃の感覚つかみかけ「トライアウト受けようと」
野村政権ラストイヤーだった5年目はプロ1号を放つなど26試合で打率.254。成績は上向いたが、多くのチャンスが与えられたわけではなかった。フォームの試行錯誤は続き、微調整を繰り返す日々。「いっぱい後悔してます。自分の野球人生なのに、整理できないまま、納得できないままいろいろ自分を変えてしまったなあと。そんな時、結果を出せるわけがない」。投手との対戦の前に、自分との戦いに苦しんでしまっていたのだ。
「この世界、大事なのは自分次第なんで。(野村政権の)4年間ずっとその繰り返しだった。もちろん自分の技術不足。結果を出せばチャンスをもらえるし僕が悪いんですけどね」。マーティ・ブラウン監督が指揮を執った6年目の2010年は28試合出場、翌2011年は自己最多の36試合出場も打率はプロ入り後ワーストの.133。7年間で通算37安打に終わり、戦力外となった。
ただ7年目は球宴後の2軍調整中、現役続行に向けた手応えがあったという。「バッティングってこうなんだって、今までにないものがあった。これやったら(いける)という感覚があったんで、現役続けたいなって思いがあったので(12球団合同)トライアウト受けようと思っていた」。ところが、戦力外を通告してきた楽天から、思わぬオファーがきた。
「来年コーチやってほしいと言われて。“まさか”って思った」。それでもトライアウトは諦めたくなかった。球団からは1週間、返答の猶予を与えられたが、トライアウトの申し込み締め切りは3日後。トライアウトを受ければコーチの話は立ち消えとなるため、実質3日での判断が必要だった。コーチ就任か、トライアウトか――。「野球界って指導者は現役の実績がモノをいうというか、そういうのが結構あった時期だった。なので、俺で務まるのかなっていうのも実はちょっと思っていたんですよ」。
人生の岐路に立った時、平石氏は必ず相談する相手がいる。PL学園時代のコーチだった清水孝悦氏だ。1984年にはPL学園主将として1学年下のKKコンビとともに甲子園を沸かせた人物。「何事も初めてとか1人目というのは名誉なことやぞ。お前の世代で初めてやったら、その道を示したれ」と強くコーチ就任の背中を押されたという。「お前がどうかによって今後のコーチのあり方も変わるかもしれん。若いからどうこうやないやろ。トライしてみてええやないか」。恩師の言葉に後押しされて決意を新たにしたのは31歳の秋。楽天生え抜き初、松坂世代でも初めてのコーチが誕生した。
(尾辻剛 / Go Otsuji)
![](https://full-count.jp/wp-content/uploads/2024/06/18100149/20240618_dazn_480x160.jpg)