新人王翌年の“ジンクス”…陥った悪循環 生かせなかった先輩の金言「全部駄目に」
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元阪急・熊野輝光氏、新人王の翌年は成績落とし「2年目のジンクスに」
うまくいかなかった。元阪急外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)はプロ2年目の1986年、打率、本塁打、打点、盗塁のいずれも、新人王を獲得した1年目より成績を下げた。「2年目のジンクスになりましたね」。相手に研究され、それに対応しようとして本来の打撃フォームを崩してしまった。そんな時に、阪急の大先輩、“世界の盗塁王”福本豊外野手から声をかけられたことは頭に残っているという。
熊野氏はプロ1年目、打率.295、14本塁打、60打点、13盗塁の成績でパ・リーグ新人王に輝いた。だが、2年目は規定打席に届かず打率.237、11本塁打、33打点、7盗塁と数字を落とした。4月6日のロッテとの開幕戦(川崎)には「6番中堅」でスタメン出場して、ロッテ先発の村田兆治投手を相手に4打数2安打1打点と好スタート。開幕から3試合連続安打を放つなど、1年目の勢いをキープしているかに見えたが、続かなかった。
「ホームランは何とか2桁(11本)を打てましたが、バッティングに関して、すごく悩みました」。相手の攻め方が変わった。研究された。「全く1年目とは違いました。もう自分の好きなところには投げてこなくなりましたね」。それに対応しようと必死になった。「いろんな意味で、いろんなところを打ちたいと思った。得意なところも、苦手なところも全部カバーしようと思って、結局はそれで全部駄目になりました。打撃フォームが崩れました」と唇を噛んだ。
「弱いところを特に強化しよう、駄目なところを克服しようとして、そればっかりやっていたら、今度は好きなところも打てなくなってしまったという感じでしたね」。何とかしたいという気迫が空回りの悪循環だった。「もうちょっと前で打ちたいんだけど、ボールが詰まってしまうとかね」。まさにスランプに陥ってしまった。
「楽々ホームランの打球だったのに『ジャンプせい、フェンス登れ』って」
そんなときに「福本さんが声をかけてくれた」と熊野氏は懐かしそうに話す。「『球が前に飛んでいるんやったら、ええやないか』ってね。福さんが言うには『ナンボ振っても(バットに)当たらないんやったら困るけど、当たっているやん。前にボールが飛んでいるのなら、そのタイミングの問題だけやから。悩まんでええやないか』みたいな。“もっとやさしく考えなさい”ということ。そう言われて気は楽になりました」。
振り返れば、当時の阪急には個性あふれる先輩が多数いたという。「福さんはずっと、そんな感じでしたけど(エースの)山田(久志)さんはホントに怖かったです。いつもキッとしていて……。1番、印象にあるのは、山田さんが投げている時にランナーがサードにいて、僕が守っているセンター前に打球が飛んできた時のこと。突っ込んだって絶対無理だったので、ヒットにしたんですけど、そしたら山田さんの表情が……。あの時はもう“ウウー”ってなりましたよ」。
ほかにも「(右腕の)佐藤義則さんには、楽々ホームランの打球だったのに『ジャンプせい、フェンス登れ』って言われた時もありました。昔はみんな、そんなんでしたねぇ」。首脳陣についても「日生球場で左中間の打球を捕った時に肩鎖関節を痛めてバットを振れない状態だったけど、それでも出てくれとか言われて、グルグル巻きにされて固定して打席に立った時があった。今だったら、そんなことは絶対ないですよね」と笑いながら話した。
そんな“猛者たち”に囲まれながらのプロ生活は、熊野氏にとって、いろいろ勉強になったし、いい経験にもなったし、思い出でもあるが、プロ2年目はとにかく、どうにもうまくいかなかった。「福さんに声をかけられて気は楽になったんですけど、それでも結果がなかなか出なかったですからねぇ……」。ありがたい大先輩の言葉も生かせなかった。「ホント、2年目のジンクスになりましたね」。無念そうに口にした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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