退路断って超一流企業“卒業” ドラ4山中稜真「どんな順位でも」…超えたかった父の存在

オリックス・山中稜真【写真:北野正樹】
オリックス・山中稜真【写真:北野正樹】

オリックス・ドラフト4位の山中が見せた覚悟「どんな順位でも、プロで勝負する」

 父を超えて、未知の領域へ進む。オリックス・ドラフト4位の山中稜真捕手は、社会人野球・三菱重工Eastにて日本一を果たした。東邦高(愛知)で甲子園優勝キャプテンになり、社会人でもプレーした父に追いつき、プロ入りを果たすことで父を超えた。

「都市対抗で優勝し、父も知らない(プロの)世界に入ったことで、父を超えることができたかなという実感はあります」。練習疲れも見せず、山中が目を輝かせた。

 山中は神奈川県出身。木更津総合高(千葉)、三菱重工Eastを経て2024年ドラフト4位でオリックスに入団。父の竜美さんは東邦高の3年時に主将としてセンターを守り、1989年の選抜大会に出場。元木大介元巨人ヘッドコーチが主軸の上宮高(大阪)との決勝は、延長10回表に1点リードを許した東邦がその裏、2点を奪い逆転サヨナラで前年準優勝の雪辱を果たしたとして、今も語り継がれる名勝負だった。

 竜美さんは社会人野球の名門・日立製作所に進み、山中が誕生する前には現役を引退。現在は社業に専念している。山中は木更津総合では2年夏に一塁手、3年夏は捕手として甲子園に出場。父のように優勝は果たせなかったが、青学大から進んだ三菱重工Eastでは、都市対抗で日本一に輝き、社会人で優勝できなかった父を超えることができた。

 山中は小学2年生から「下倉田シャークス」で野球を始め、小学6年時には監督を務めた竜美さんの指導を受けた。弟の海斗さんも木更津総合を経て、現在は日大でプレーする野球一家。小学生時代からテレビにはベイスターズ戦が流れ、スポーツニュースで見た選手と同じタイプのグラブに憧れた山中にとって、プロ野球は目指すべき道だった。

 プロの道を選ばなかった竜美さんには、社会人2年目の春に「どんな順位でも、プロで勝負する」と告げた。竜美さんからは「本当に(会社を)辞めるのか。わかった」とだけ返ってきたが、指名後は「おめでとう、と言っていいのかな。よかったな、頑張れよ」と新たな挑戦を祝福してくれた。

「成績だけでなく『あの選手いいね』と思ってもらえるようなオリックスの顔になれる選手」

 安定した超一流企業からプロへの転身。「来年のこともわからないプロの世界。父は社会人野球の良さもプロの厳しさも知っているので心配だったのでしょうね。僕も2年間、会社でいろんな経験をさせていただき、応援もしてもらっていたので寂しい気持ちもありましたが、勝負したい、挑戦したいという思いが強かったんです」。

 社会人野球への思い入れは強い。父に連れられて訪れた都市対抗を覚えている。「日立のシンボルカラーのオレンジのビブスを着て、東京ドームで応援していました。1発勝負で負けたら終わりの中で懸命にプレーする選手や、会社を挙げての応援に感動しました」と今も目を輝かせる。
 
 勝負強い左打者。三菱重工Eastでは、外野手兼一塁手として2年連続して都市対抗に出場し、1年目は3試合に「3番」で出場し13打数4安打、1打点で8強入りに貢献した。昨年は優勝を果たし、2年連続して出場した日本選手権では、昨年の準々決勝の日本製鉄鹿島戦で、延長10回タイブレークでサヨナラ二塁打を放ち、4強入りを果たした。

 山中の魅力について担当の佐野如一スカウトは「練習試合で150キロ超の外角高めの真っすぐを左中間に放り込むなど、真っすぐに強いのが特徴。見に行った3試合で毎試合連続で本塁打を放ったこともあります。凡退しても切り替えが早く、チャンスにも強いですね」と語る。

 将来の目標は、首位打者のタイトルで「成績だけでなく『あの選手、いいね』と思ってもらえるような、オリックスの顔になれる選手」。父を安心させるためにも、勝負強さをアピールして開幕1軍を目指す。

○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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