「なんでダルビッシュにいかなかった」 ドラフト直前の“内紛”…怪我疑惑で自由枠の撤回要望も却下

オリは2004年ドラフト自由枠で金子千尋を獲得…熊野輝光氏が担当スカウトだった
オリックスと近鉄の合併が決まった2004年のドラフト会議で、オリックスは自由獲得枠でトヨタ自動車の金子千尋投手(現・日本ハムファーム投手コーチ)を獲得した。後に大エースとなる右腕の担当スカウトが熊野輝光氏(元阪急・オリックス、巨人外野手、現・四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)だ。「あの時は大変でした。ドラフト直前に球団社長が自由枠をやめると言い出して……。僕は辞表を持っていきました」と当時の騒動も振り返った。
1997年からオリックスのスカウトとして熊野氏は多くの人材を発掘した。その中でも「思い出深いですよ」と口にしたのが2004年の金子獲りだ。「あの年は近鉄との合併があって、(近鉄エースの)岩隈(久志投手)も入るし、チームも強くなるので最初は(2人まで獲得可能な)自由枠を使うのはやめて、3位(1巡目)からにしてくれということだったんです。それでJR東海の光原(逸裕投手)を最初の順位で行こうと決めていました」。
当時のドラフトは大学、社会人対象の自由獲得枠が最大2枠。自由枠を1人も使わなかった場合は1巡目(選手重複の場合は抽選)と3巡目で指名ができ、自由枠を1枠だけ使用の場合は次の選手を2巡目で指名。2枠とも使用の球団は全球団が指名可能な4巡目から参加という方式だった。「そしたら岩隈が(オリックスではなくて)楽天に行くという話になったので、1位(自由枠)からいっていいに変わったんです」。
とはいえ、有力選手はすでに他球団に押さえられている。「『誰かいないか』って話になって、僕が金子の名前を出しました。『青田買いになりますが、絶対出てきますから、今獲っておきましょう。トヨタでは実績も何もありませんが、絶対出てきますから行ってくれませんか』ってね。トヨタ側も(金子をプロに)出すつもりはなかったんだけど、1位(自由枠)なら本人や親とも相談しないといけないとなった。本人も行きたいということで獲ることが決まったんです」。
熊野氏は金子を長野商時代からマークしていた。「長野商の監督が中央(大)の先輩だったしね。で、トヨタに入った時の監督も(熊野氏の日本楽器時代の監督で恩師の)川島(勝司)さんだったし……。試合での実績はまだなかったけど、ブルペンで見たら、とんでもないボールを投げていた。肘のしなりがすごくて、ムチみたいにピシャって。ボールはどこまでもシャーって。糸を引くようなボール。何で、試合で投げさせないのかなって思ったくらいでした」。
仰木監督から「何でダルビッシュに行かなかったんだ」
それが一転してドラフト前に“大騒動”となった。「金子の右肘の靱帯の裏側はもしかしたらボロボロかもしれないという診察結果をトヨタが出してきた。ネズミ(遊離軟骨)が痛いというのはあったけど、それは取ればいいだけのこと。でも1位(自由枠)なので球団に報告したら小泉(隆司)球団社長が『駄目だ』って言い出したんです。それで金子を呼んで須磨の病院で検査させて『別にそういうことはありません』となったんですけど、社長はおさまりがつかなくて……」。
小泉社長はNPBにも自由枠適用の撤回を要望。すでに自由枠での獲得が決まった状況であり、却下される事態も起きた。「オーナーが金子獲得にOKを出してくれて社長もおさまったらしいですけど、僕はあの時、ボロクソ言われました。もう辞めさせてくださいって、球団に辞表も持っていきました。(GMの)中村(勝広)さんに『待て、待て』と言われて、残りましたけどね」と熊野氏は今でも悔しそうに話した。
翌2005年のコーチ会議では仰木彬監督にも厳しく言われたという。「会議でスカウトが新人のことを説明するので、僕が金子のことを話したら、仰木さんが『何でウチは金子だったんだ。何で(日本ハムが1巡目で指名した)ダルビッシュ(有投手)にいかなかったんだ』って。ダルビッシュに関しては会社が駄目だということで行かなかったのに、仰木さんが言い出したら、最初、誰も何にも言ってくれなかったんですよ」と熊野氏は苦笑する。
「えーっ、誰も助けてくれないのって思っていたら、中村さんが『金子は絶対出てくるピッチャーなんで』って言ってくれたんですけど、大変だったです。1時間くらい、僕は立ったままでした。中村さんにはその後『ピッチングコーチやトレーナーとかと話して、1年間の金子のスケジュールを作れ』と言われました。1年目は体作りでしたけど、内筋を鍛えるとかトレーニングのことまで僕が書きました。いちいち上にこういう計画で行きますと報告しながらね」。
金子はその後、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞、最優秀選手など多くのタイトルも獲得し、球界を代表する投手に成長していった。熊野氏の見立てに間違いはなかった。「体ができて投げられるようになったら『おい、すごいボールを投げるやないか』といろんな人に言われましたからね。僕もこれだったら、スカウトをやれるなって自信もつきましたよね」。もちろん、金子の頑張りに感謝している。「ホント思い出深いですよ」と微笑んだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
