2000安打に残り「1」で大ブーイング 恩師の祝福には涙も…明かした“心残り”

荒木雅博氏はプロ22年目の2017年6月3日に2000安打を達成
2017年6月3日、中日・荒木雅博内野手(現・野球評論家)はNPB史上48人目の通算2000安打を達成した。プロ22年目の39歳。本拠地・ナゴヤドームでの楽天戦の4回に美馬学投手から右前打を放って到達した。「プレッシャーが一番強い年でしたね」。入団時の監督で恩師である星野仙一氏(当時は楽天球団副会長)の来場がわかっていた中での一打でもあったが「あとあと映像を見るたびに……」と苦笑しながらメモリアルデーを振り返った。
2000安打まで残り39安打から荒木氏の2017年はスタートした。前年(2016年)の中日は19年ぶりの最下位。谷繁元信監督は途中休養となり、落合博満GMは契約切れで退任した。監督にはヘッドコーチから監督代行を務めた森繁和氏が就任しての新体制でのシーズンでもあった。「やはり僕に2000本を打たせたいという周りからの気持ちをヒシヒシと感じた。自分のことで周りに迷惑をかけるわけにもいかないし、プレッシャーが一番強い年でした」。
3月31日の巨人との開幕戦(東京ドーム)には「2番・二塁」で出場し、4打数無安打だったが、2戦目の4月1日の同カードでシーズン初安打。4月19日の阪神戦(ナゴヤドーム)では3安打猛打賞をマークするなど、4月は63打数17安打の打率.270。5月も28日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)を終えるまでに14安打を上乗せして偉業まで残り8安打。ここで担当スカウトだった早川実氏から電話が入ったという。
それは30日からのソフトバンク3連戦(ヤフオクドーム)に備えて福岡に移動する日だった。「星野さんがその週末のナゴヤドームの楽天戦に解説の仕事で行くので、そこで打ったら花束を渡せるけど、って話でした」。ソフトバンク戦の次が楽天戦。「(6月3日土曜日までの)5試合で8本って、近年打ってなかったんですよね。だから、しんどいなぁって思っていたんですけど、ソフトバンク戦3試合で6本打って(名古屋に)帰ってきたんですよね」。
30日に3安打、31日に1安打、6月1日に2安打。「俺って、まだこれだけの力を持っているじゃんって思ったけど、結構疲れてはいましたね」。2日の楽天戦では7回の第4打席に中前打を放って王手をかけたところで交代した。「もう1打席回る可能性があったので(スタンドは)大ブーイングでしたけどね。僕から代えてくれとは言っていませんけど、福岡から移動してのゲームだったし、もうしんどくて、しんどくて、というのは正直ありました」。

恩師の星野仙一氏から花束を受け取り、頭を撫でられ涙ぐんだ
そして3日の楽天戦に「2番・二塁」で出場。初回の1打席目は見逃し三振だったが、4回の2打席目に楽天先発・美馬から右前打を放って決めた。「どんな形でもいいから早く1本打ちたいと思ったら2打席目に止めたバットでヒットになった。最後、振り切ったふりをしましたけど、その時はそれでうれしかったんですよ」。解説席にいた星野氏がグラウンドに降りてきて花束贈呈。荒木氏は頭を撫でられ、涙ぐんだ。
その日の星野氏は荒木氏が2000安打を達成するまで打席のたびにグラウンドと解説席を往復することになっていたが「『(2打席目も凡退なら)もう俺は(グラウンドに)行かんぞ』って(冗談で)言っていたらしいですけどね」と荒木氏は笑った後、かみしめるようにこう話した。「(プロ2年目1997年の)1本目を(当時中日監督の)星野さんの前で打って、2000本目もまた星野さんの前で打てたというのがすごくね……。なかなかそういう人もいないんじゃないかと思うんですよね」。
プロ5年目までは計15安打。そこから2000安打まで積み重ねていったことは常にクローズアップされる。本塁打数も名球会メンバーでは最少(達成当時は33本、通算は34本)で「(元ヤクルトの宮本)慎也さんから『お前、早く名球会に入って来い、俺が(通算62本塁打で)今一番少ないけど、お前は30何本だろ』って言われていました。『僕、(ヤクルト本拠地の)神宮でのホームランは多いんですよ』と言いましたけどね』とまた笑みを浮かべたが、その状況も含めて勲章だろう。
しかしながら、こんなこともポツリと口にした。「あの時はあれでうれしかったんですけど、あとあと(2000安打達成の映像を)見るとねぇ……。やっぱり、まともなヒットにしたかったですね」。止めたバットでのメモリアル打が、後日、気になったそうだが……。
あの時、満面の笑みで、自分のことのように喜んでくれた星野氏はそれからわずか7か月後の2018年1月4日に膵臓がんのため亡くなった。誰もが驚いたように、荒木氏も信じられない思いでいっぱいだった。恩師への感謝の思いとともに、感動シーンはいつまでも忘れることはない。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)